斎藤貴男『機会不平等』(文藝春秋)読みました。
223頁に、「サイゾー」7月号からの引用。
中谷巌『eエコノミーの衝撃』はゴミクズ以下の本で、バカにするため以外の目的でこの本を読むのは、積極的に恥ずかしいことだ。本屋で手に取るのも、バカがうつるので手袋をしたほうがいい。今回ぼくが言いたいことはこれだけだ。斎藤氏の直接のコメントは無し。(うまい手だわ)
ぼくは、中谷巌というのは、腐ったにしても一応は経済学者だと思っていた。学者としての手続きや矜持や、これまでの学問的成果に対する敬意や、何よりも良心のかけらくらいはあるだろうと思っていた。ところが本書には、それが皆無。いたるところ、そこらの泡沫ビジネス雑誌のネット経済特集と一言半句変わらない。どこを見ても目新しい内容がまったくないどころか、しかもそれが、情報や技術はおろか、経済についてすらまちがいだらけ。
>cruel.orgとpost1.com/home/hiyori13の関係ってどうなっているのでしょう。
お互い気にはなっているのですが、シャイでどちらもなかなか切り出せないでいるようです。 最終回には結ばれるかもしれません。暖かく見守ってあげましょうね。
(うーむ、イマイチ。いや、最初はミラーにしようかと思ったんですが、ミラーするほどのアレでもねーなと 思って。ただ、post1.com はcgi 別料金なので全文検索とかやりにくいかな、というのも ありまして。結局いまはフリーソフト系文書と、各種の独立系プロジェクトを cruel.orgで 動かしてますわ)。
>これのどこが「説得力のある分析」なんでしょう…
うーん、これだけでは、説得力があるかどうかも分からないですよね。
うーん。
raynaさま、ありがとうございます(玄白用の窓)。 ところで、別の話。 cruel.orgとpost1.com/home/hiyori13の関係って どうなっているのでしょう。
みやのさん。私が断りにくい書き方をしてしまったようですね。ごめんなさい。
(そういうのが得意な方なのだと思えて…)
どなたでも、思いつきを書いていただくのはこれからも歓迎します。書いたからと
いって「魁から始めよ」的に役割を押しつけるようなことはしませんので、どうか
誤解のなきよう。私のほうもできることを好きにやっていくだけですから。
結城さんのご要望におこたえして、genpaku.org内だけの検索窓を広報部トップに
追加しました。
山形さんが壮大なデータベース構築をなさるまでのほんのまにあわせとして^^
市川浩氏の身体論が複雑な現象に立ち向かう現代物理学という対談のChap.3に
出てくるんですけど、これのどこが「説得力のある分析」なんでしょう…
>ところで、みやのさんは進行役をひきうけてくださらないのかな?
すんません。思い付きで書いただけなんで・・・(逃げ)
あと「進行役」というのが中学生のころの悪しき思い出を刺激するのと
(学級委員でござんした)
アフォーダンスってどんな踊りなんだろうという
というのにハマッていたりしておりましたので。
>杉田玄白用の検索窓もほしいなあ、 はい、いまこのためにPostgressSQLとかPHPとかべんきょーしてます。 もうしばらくお待ちを。
> 全文検索の窓 結城浩@杉田玄白広報部としては、 杉田玄白用の検索窓もほしいなあ、 と思いつつ、genpaku.org内を検索しても あまり意味はないと気が付いたりして。
「組み込み」についてはちょっと出典がわからなかったこともあり、
信頼性が怪しいので(汗)、すみません忘れてください。>はせがわさん、ユカさん
>動物(人間)みたいにロボットが環境と相補的かつダイナミックに
>かかわれるようになる、ということなんだと思って
>私は羽尻さんの書き込みに納得していました。
え、そういうロボット自体がアフォーダンスを拾うってことですか?
すみません、読み違えてました。(普通は「生き物」が前提ですんで)
しかしなぁ・・・「皿の上の羽二重もちを持つ」という行為だけでも
実際には、人間が持つ場合には、触れないぐらい熱い、皿にくっついて
とりにくい、などのさなざまな状況があるわけじゃないですか、
人間はそういう状況を知覚システムで総合的に判断して、持ちやすいように
持つわけですよね。
ロボットでそれをやるばあい、アフォーダンスをどう決めていくのだろうってのが
僕にはよくわからないのです。特定の行動だけじゃ生態的なものではないし、さらに
人間の知覚システムとは違うから同じアフォーダンスを拾うわけではないですから。
(そもそもアフォーダンスは環境のなかに無限にあるもので「アフォーダンスの
アプリケーション」という言葉自体に無理があるような・・・)
こういう話は僕なんかよりももっとまともに説明してくださる方がいらっしゃるような
気がしますが。もしいらっしゃったら僕の至らない発言ともどもよろしくお願いします。
>全文検索の窓を作りました。 朱鯉。奪暴。砂州蛾。
そうですね。すみません。 思いつきがあまりに気にいってしまって独りよがりになってました。 ところで、広報部トップページと部室に、オフィシャルページ内の 全文検索の窓を作りました。(この思いつきは「どうよ」のおかげ)
派遣の人は年末には忙しいのです。年内締めのものがいろいろあったりするから。 それに大人は忘年会とかあるし、みやのさんはクラブの年末イベントも欠かせないし、 あまり無理を申し上げてはいけませんわよ。
ありがとうございます。 書いてみた甲斐がありました。嬉しい。 >上平さん 「組み込み」という言葉は初耳です。私も調べてみよう。 >僕は逆に羽尻さんの >>ロボット、かな〜 > >に違和感を感じたんですが。 >アフォーダンスはスタティックなものではなくて、動物(人間)と環境の >相補的かつダイナミックなものですよね? 動物(人間)みたいにロボットが環境と相補的かつダイナミックに かかわれるようになる、ということなんだと思って 私は羽尻さんの書き込みに納得していました。 まだ違和感ありますか。それとも私の誤解なのかしら。 ロボットにアフォーダンスのプログラムを載せたら たとえば、いつもは硬いものを扱っているロボットが 柔らかいもの(ex)羽二重もち)を柔らかく掴めるようになるわけですよね。 それは、市川氏っぽくいえば「ロボットのアームが羽二重もちになる」ってことで 同じことをアフォーダンスの言葉遣いに変えれば 「羽二重もちが柔らかに取り扱うことを要求する」ということですよね。 この「アフォーダンスの言葉遣いに変えれば」というところが、 「なんかちがう」「逆の話」「同じ場所に整理していいのか疑問」と 諸氏のおっしゃる点なのか。 うーん、そのへんは自分でも大雑把だとは思うのですが ひとまずロボットとアフォーダンスの話に戻って。 なので、「アフォーダンスのアプリケーション」は 義手や義足なんかにも、もってこいだと思います。 なんだか中途半端ですが、とりいそぎ、ロボットのこと。 ====== 私の「2000年の山形さん」は、広報部で報告されていた 初対面の方に「イエーイ!」って手を挙げて挨拶されてた、というくだりです。
>qaA.122:
>それにこの上の二つの質問は、二週間くらいまえにすでに答えたのに消えてしまったのだ。
ごめんなさい! その回答を私は見ていないので、完全に修復できたものだと思って
いました。できるだけまめにbackupをとることにします。
>私の「2000年の山形さん」は、ここ「部室」の発見です。
それは光栄です。
ところで、みやのさんは進行役をひきうけてくださらないのかな?
あらためてきちんとお願いしないとだめなのでしょうか。
ここは「勝手に広報部」だし、山形さんのファンなら誰でも自主的に
やりたいことをやっていただければと思っているのですが…
市川浩氏の文章って10代の後半以来読んでないってことをリアライズして愕然。
なんかどうでもいい系の身体論だった気がする。でもダンス批評では第一人者だった気もする。
ところで私の「2000年の山形さん」は、ここ「部室」の発見です。
「幼少の右り」であった。 長じて転向すると「蛍雪のひだり」とか。
うっそだぴょーん(ふざける場所じゃないっすね)。
「砌」と書くそうです(広辞苑)。語源的には「水限り」。軒下の敷石のこと。
本題。
ご幼少のみぎりは不登校児であられた宮崎哲弥氏のbk1連載:教育学第四回は、
『機会不平等』の書評なり。
つっても、第1章の派手でわかりやすいとこを引用してぷんぷんしてるだけね。
お答えありがとうございます。自分でも調べてみます。
市川浩とアフォーダンス理論は出発点はかなり違うけど(市川浩は、心身二元論の克服から考えていったんですね)、結果としての言表には似たところがみられるというのはあるようです。だからといって、同じ場所に整理していいかは疑問です。
突然ですが、私が使っていたサーバーの調子が 悪くなってきたので、ファイルをすべて移転しました。 必要なら更新お願いします。 SOGO_etext_library http://etext.3nopage.com/ 80日間世界一周 http://etext.3nopage.com/80day_j.html 真夏の夜の夢(HTML) http://etext.3nopage.com/mdnght.html 真夏の夜の夢(PDF) http://etext.3nopage.com/mdnght.pdf ロミオとジュリエット http://etext.3nopage.com/randj.html 探偵小説を書くときの二十則 http://etext.3nopage.com/20rule_j.html 今後ともよろしくお願いします。
熟練した料理人が包丁を手先のように扱うような、道具を知覚の延長上にかんじられる
こと・・・と学生時代なにかで読んだんですけど、すんません、うろ覚えです。
(検索かけたけどよさげな参考文書は見つかりませんでした。むむむ)
「組み込み」ってどういう意味でしょうか。もう少し説明していただけないですか?
むしろ現象学よりの人ですよね。 マクルーハンとの関係も薄いんでは? 手元にある、市川浩「精神としての身体」勁草書房(1975)には、メディアへの言及がありますが、 引用されているのは、トフラーです。
市川氏の話は「組み込み」みたいなものですよね。
それは従来の知覚理論と変わるものではなく、アフォーダンスとは180°逆の話
だと思います。「環境が動物に提供する」のがアフォーダンスで、ソファの例で言えば、
ソファが座ることをアフォード(提供する)するから座れるのだ、ということです。
僕は逆に羽尻さんの
>>2.アフォーダンスのアプリケーションってなにか考えられるのか?
>
>ロボット、かな〜
に違和感を感じたんですが。
アフォーダンスはスタティックなものではなくて、動物(人間)と環境の
相補的かつダイナミックなものですよね?
例えば、夏の暑い夜、僕がホンダのアシモ(仮にそういうロボットだとして)を、
ひんやりした抱き枕として体の冷却に使うのもアフォーダンスなわけで、
特定の予想されるものだけがアフォーダンスではなく、主体との関係において
かなり多様なものであるはずです。
(だから僕には「定義できるのか」って問い自体がちょっと意味がよくわかりません)
も一つ、これに関してもっと身近な例を挙げれば、「携帯電話のアンテナを歯で延ばす」
というのは、設計した側からは予想外だったわけですが、多くの人がこのアフォーダンス
を拾い出したために、最近は歯でかみやすいような素材になったとか。
僕は玲奈さんのいうところの「デザインの実用的ターム」からアプローチしてますので
厳密な意味での生態心理学にはあまり詳しくないのですが、アフォーダンスはちょこちょこと勉強しています。
……なんかちがうような気がする。なんかそれはただのマクルーハンの人間拡張の原理を 言い直しただけのような気がする。市川浩って読んでないけれど。
おじゃまします。みなさんはじめまして。 話を蒸し返すようで恐縮なんですけど。アフォーダンスの話です。 ギブソンの『生態学的視覚論』て、詳細は忘れましたが 「従来の網膜像理論と違うボクの新しい視覚論!」というのが立っていて 読んだとき、ものすごく(あれー?)って思ったんですよ。 それまで私は、アフォーダンスという言葉と親密なものとして 市川浩の<身>を連想しておりました。 余計なおせっかいを承知で市川さん的な状態を説明しますと 「柔らかいソファーに座ろうとするとき、お尻もまた柔らかいソファーになっている」 「ハサミを使っているとき、ハサミは指の延長として動いている」とか そういう、自分の体とそれ以外のものの係わり方の話です。 心理学じゃないにしても、知覚が焦点なのだから、そう遠い話ではないですよね。 これをアフォーダンスというのは、大雑把すぎるのでしょうか。 私のなかではオーケーなんですけど。 なので、というか、だからこそ、 羽尻さんの >>2.アフォーダンスのアプリケーションってなにか考えられるのか? > >ロボット、かな〜 というコメントにものすごく納得したんですけど。 なんだか見当はずれのこと書いてしまったかしら。どうなのかしら。 ただ、ギブソンの本より市川浩のほうが 読んで楽しいと私は思います。 さんざん書き散らして、「楽しい」を落としドコロにしてしまいました。 すみません。 えーと、それでは失礼します。 では 「あなたが選ぶベスト・オブ・山形浩生・2000」企画をどーぞ!
>「30年以上も前の小学校時代をなつかしく思い出す」 うーん、ぼくがメトロポリタンとかに通っていたのは6歳のときなので、30.5年 前だからまあセーフです。
>お茶目(死語?)な企画はしないんでしょうか? いえ、部長がお茶目じゃないので思いつかないだけです。 どんどん企画してくださいませ。 ではさっそく、みやのさん、幹事役じゃなくて鍋奉行じゃなくて、 音頭取りといいますか企画進行役おねがいしま〜す! わあい。
こちらでは
「あなたが選ぶ ベスト・オブ・山形浩生・2000」
とか
「心に残る20世紀の山形浩生」
とかいう、お茶目(死語?)な企画はしないんでしょうか?
よくわかりません。頭はいい(というか論争は強い)んだが……。時折、ただのディベート屋なんじゃねえか、と思ってしまう。
最近では『政府の能力』の書評をめぐって尾高煌之助氏とやりあってました。(於『経済学論集』東大。)
更にさかのぼっては『日本の中小企業』の三輪論文にも尾高氏の辛口のコメントがありました。(やはり『経済学論集』)
「文藝春秋に書いた書評と読み比べると楽しいでしょう。」
と、CUT 連載書評新年号(2ヵ月もずれてるけど)のところに^^ あいかわらずサービス精神旺盛な山形さん。
どういう意味が推理してみましょう。ファンなら文藝春秋のほうを読んだ
だけでピンと来るかも。
『八月の博物館』bk1読者書評は2名。
瀬名秀明公式ページ | 『読んで書く、書いて読む。』 | ファンページ
書店に行ったら新年号ばっかりでなんか変な気分。
つーわけで、「文藝春秋」 1月号をめくって
山形さんによる 瀬名秀明『八月の博物館』評だけ立ち読みしてきたっす。
(この雑誌に触るの何年間に一度って感じ)
「30年以上も前の小学校時代をなつかしく思い出す」って、
山形さんいくつ(とみなされてるの)だろう?
p.s.関係ないけど、はまださんのとこ、田中優子がずっと最初にあって
あやしい雰囲気なのだ(って、ブタネコさんに言うべきかもだけど)
面白いってのはこういうことさ。 ちぇけ!
結城です。ちょっと宣伝。 勢いでtextfile.orgというドメインを取りました。で、 「テキストおよびプログラミングの寡黙な情報集」 というのをはじめてみようかと。ご笑覧ください。 http://www.textfile.org/
「不平等を正当化する人々」というのは第五章のタイトルですね。
その章では、中谷巌教授、竹中平蔵教授、中条潮教授といったあたりが おもにでてきますが、三輪芳朗教授(東大・経済学)も「より過激な新自由主義者」 として出てきます。
一番「うわぁ」ときたのは、江崎玲於奈氏が優生学的な選別を 将来のあるべき姿としてストレートに肯定している、第一章冒頭のところですが。
girly Baby-T shirtは色もblowfishのイラストもたしかにかわいいけど、
サイズはXLまであって、どこがほかのと違うのかな。短い?
http://www.openbsd.org/tshirts.html
はまださん、どうもありがとうございます。
サイゾー2000年7月号って「『e-エコノミーの衝撃』の衝撃」ですね?(自分で確かめればいいんだけど)
『機会不平等』はおもしろかったですか?
タイトルの「不平等を正当化する人々」とはどういう人を指してるのですか?
>バックナンバーには第4回上が抜けてるし。
なぜそうなっているかというと、第4回の上というのは、実は第5回の前半部分を 最後のだんかいで移植したものだから、なのです、たぶん。ここでぼくが、米倉涼子と 平山綾が来年まで出ないあれこれと書いているのを関係者が見て、ちょっと気をきかせ てくれたのだと思います。
アップが遅れるのは、とりあげた本の在庫がそろうまで待っているから、なのだそうな。Newがないのは、 うーん、すでに一月遅れの原稿だから、かな(笑)
斉藤貴男『機会不平等』に、サイゾー2000年7月号が引用されてました。
いつもすばやいですね。
>「NEW」の文字もなくこっそりと?
ほんとだ。くやしいから(笑)こちらでNEW!をつけちゃいました。
バックナンバーには第4回上が抜けてるし。
マサカあいどる写真集ハケシカラン、ナンテワケジャナイヨネ。
“ふつうのあいどる写真集の定番”についても解説してある。でも、
山形さんの文章って、いやらしそーに書いてもいやらしい感じがしないのが…。
きっとご本人がいちばんわかってらっしゃるだろうけど。
bk1の「無節操。」、第4回目がようやく掲載されてますね。
「NEW」の文字もなくこっそりと?
Netscape 4.7x for FreeBSD 2.x on FreeBSD 4.x でもですねぇ。 いや、単にフォーム内の表示がおかしいだけなので、送信は正常ですが。
>こちらでも顔を出してらっしゃるみやのさんの掲示板で、改行がまったくできない >人が、一時期いらっしゃったのですが、ひょっとするとあの方は、この「オープンソースの高品質な >ブラウザ」のベータテスタだったのかもと思っております。 んにゃ、MacでIEでしたぞ。
僕は、最近、ネットスケープ6でブラウズしてますが(いまも、それで書き込んでいます)。
フォーム周りがおかしいというのは、そうなのですが、僕のところは、新山さんが言う
症状とは違う症状を呈しています。
フォームの中で、改行コードを打ち込むとフォーム内にその前の一行が表示されなくな
る(でも、サーバーには正常に送られている様子)という症状と、あと、改行が
されないとか、時々文字化けする、といった症状です。
こちらでも顔を出してらっしゃるみやのさんの掲示板で、改行がまったくできない
人が、一時期いらっしゃったのですが、ひょっとするとあの方は、この「オープンソースの高品質な
ブラウザ」のベータテスタだったのかもと思っております。
Mozilla Nightly build でも(予想どおり)敗北です。テスト用ページは しょっちゅう消されるかもしれないので、ブラウザに関する注意書きは FAQ.html のほうに移しました。
Mozilla/NS6 で「フォームまわりがおかしい」というのは、ときどき意味もなくフォームの 内容がセンタリングされているときがあったのと、どっかのサーチエンジンで 入力したのにぜんぜん入力されていなかった(要するに今回のようなケース)が 一度あったからです。
なんだかいろいろ追求してもらって恐縮です。早速テストページで上の二つを
試してみたら、konqueror(KDE 2.0.1,Debian woody)でさっぱり消えて、モ
ザイクはアルファベットでだけオッケーでした。
なんか「mosaicえらい」、とか思っちゃったんですけど、中身が全部英語だった
らだめなやつでも通るかもしれませんね。できても意味ないですが・・
>その文字を使えないっていう縛りにしちゃえば
ちょっと前、「幽遊白書」ってまんがでそんなのありましたね。「あつい」といって
はいけない部屋で、「あ、ついでに・・」って言ってまんまとはまるという。
思いつかなかった^^; ありがとうございます。 Netscape6/6.0 も消えましたか。 私もunixで試してみまふ。 新井さん、フォームまわりがへん、て具体的にはどういう点でしょうか? 以下余談。このWikiは英語圏の人が作ったために、日本語で使うと特定の文字が 化けてしまい(最初わかっていたのは「さ」だったかな?)、その原因がはっきり つかめていなかったとき、山形さんから「その文字を使えないっていう縛りに しちゃえば」と言われて、なんて大胆な発想!と笑いこけたのですが、そのあと さらに文字化けするものがいくつか出てきて、筒井康隆の小説が現実化するのだ ろうか…、とひとりで空想を楽しみました。 あのまま文字化けの原因を直さないのもおもしろかったかも。 ^^
作ってみました。
確かに、m18だときれいに消えます。
ロマンチックですね。 (運慶快慶←たぶんどっちか、の逸話を連想したりなぞ)
こちらもわかっていない点が多いまま、トライアル&エラーで使っていますので、 あらかじめきちんとしたことを書けなくてもうしわけありません。 ・使用しているWikiにはRCSを設定できるようになっているので使っているの ですが、1度目の消滅事件のときにまったく保存されていないことがわかって、 環境設定を変更しました。が、断続的にしか保存されないような状態で、 今回も、11/27で止まっています。原因はわかりません。 ・消えるのはおそらくブラウザの問題だと予想されます。新山さんが書いて おられるように、IEかNSを使っていただくのが無難だと思います。 NSはUnix版でもいいのではないかと。(すでに使ってみた方がおられれば 報告おねがいします) ・ブラウザ側の問題であるとすればこちらでは原因の調査は難しいです。
佐々木正人さんと今日喋りました。
> コップを取るためにコップを見たのか、コップが見えたからコップを取ったのか、が実は区別できない
は「そのとおり」との返答を得た。これでええんか?佐々木正人!?
ここか?ここか?ここがええのんか〜?
MozillaやNetscape6などでWikiを使うのはまだやめたほうがよいです。 なんかあれってフォームまわりがへんだし、ぼくも普段はLynxで書いている(これも含めて) のですがWikiを使うときだけはWindowsのネスケを立ち上げるようにしてます。 WikiもほんとうはRCSみたいにすべての変更履歴をdiffで持っていれば理想的だと思う(大変そうだけど)。
はじめまして。Q&Aなんですけど、僕が消しました。あ、でもね、それは きのうの昼ごろなのでありまして、「戻る」ボタンをおしてその部分を コピーしてlinuxのmozilla-M18でどーしても直らないので(バグ?)、文字 コード変換とかでかなり汗だくになりつつもIE使って直しておいたんです。 で、またどなたかが変えようとしてそうなっちゃったようで。ハード ディスクにまだ直したやつを取っておいたので、それでもとに戻して おきました。てことで、失礼いたしやした。
ようですね。 消したひとはせめてここで報告しましょうよ。その時点で だれかのキャッシュが出てくるかもしれないから。
注文したのにまだ来ません。なぜ?
「箱男」はフィクションだということですね!
>「箱」の存在自体が都市伝説でしょう。 ええええっ、じゃあスキナーボックスって実在しないんですか?? うーむ。これでまた夢が 一つこわれてしまった。
>そうかー。箱の入り心地とか知りたいナー。
そもそも、「箱」の存在自体が都市伝説でしょう。行動分析学的にいえば、「箱」を作る必然性が何もありませんから。
>笠井ユートピアって、集合観念でみんなエクスタシーで昇天するやつですか?
あれっ、笠井ユートピアって、そういうのでしたっけ。
スキナーと笠井潔氏の関わりについて言えば、日本行動分析学会の第14回大会において笠井潔氏の特別講演が企画されたことがあります。残念ながら、講演者急病のため、実現できませんでしたが。
あ、あいだに12月半ばのが入るんですね。そんならまだよかった。 来年までないのなら、嘆願署名運動でも始めようかと思ったですよ。 雑誌感覚なのかな。スケジュールで縛って何かいいことあるんだろうか。 オンラインの利点が生かされてないというか。
10月に書いたやつが、アップされるのが12月半ばでしょ。その次のやつがアップされるのは やっぱ1月になるのはまちがいないのでわ。
> 出るのは来年以降 ええっ、どうしてですか? (って山形さんに聞いてもしょうがないのかな)
そうかー。箱の入り心地とか知りたいナー。 笠井ユートピアって、集合観念でみんなエクスタシーで昇天するやつですか? スキナーってそんなんなんですか。 知らなかった。 それにしてもbk1はまだ……せっかく米倉涼子写真集と岡本綾写真集の書評を書いたのに、出るのは来年以降と いうことではないか。まったくぶつぶつ。米倉涼子写真集はなかなかふつうのあいどる写真集の常識からは ぶっとんでいていいっす。
>そうそう、スキナーの箱入り娘の回想記があるときいたんですが、本当ですか?
どうも記憶にはありませんが、何かあったような気もします。いずれにせよ、たいした内容ではないはずです。『血を吸うカメラ』みたいなものを期待してもダメです。(笑)
>ああそうだ、ウォールデンII も読もうと思ってまだ手にも入れていないのだった。
あれを読む場合、なぜスキナーがあえて「空想心理学小説」の体裁で発表したのかに留意すべきだと思います。下手に実践しようとするとヤマギシズムみたいなものになってしまいますから。ウォールデンIIは、むしろ笠井潔的ユートピアのようなものだと考えた方が良いかもしれません(じつはスキナーと笠井潔もけっこう似てたりします)。
>スキナリアンのぼくとしては そうそう、スキナーの箱入り娘の回想記があるときいたんですが、本当ですか?彼女はスキナーボックス の思い出をどう評価しているんでしょうか(ああそうだ、ウォールデンII も読もうと思ってまだ手にも入れて いないのだった。
>「アフォーダンス。ギブソンより生まれし認知科学にとって忌むべき存在」
>って第弐拾四話カヲル文字で書き込んだのは誰でその真意は何だったのか、とか。
というわけで、真意はともかく、書き込んだのはぼくです。
ところで、ぼく自身は、匿名掲示板には書き込まないことをポリシーとしているのですが、2ちゃんねるの『心理学における「知」の欺瞞 』は、アフォーダンスに関する議論として、なかなか優れたものだと思います。
みほ> しかし羽尻さんてそんな昔からあの界隈のウォッチャだったんすか。
Internetに触れ始めた頃から、怪しい光に吸い寄せられる蛾のような性質
でした。私は(自虐的苦笑)
山形さま:
>1.アフォーダンスというのは検証可能なものなのか? ただの言い換えなのか?
やりかたによっては、 アフォーダンスは操作的に定義可能なものだと思います。ということで、検証可能と考えて良いのではないでしょうか。
>2.アフォーダンスのアプリケーションってなにか考えられるのか?
こちらについては、ぼくは現状では否定的です。もし、アプリケーションが作れるとしたら、それはすなわち、現在の心理学や認知科学の諸問題が解決していることを意味しますから。
羽尻さま:
>「アフォーダンス理論。ギブソンより生まれし、認知科学にとって忌むべき存在。
>そしてそれを利用してまで生き残ろうとする認知科学。僕にはわからないよ!」
>っつー一節で始まったやつですね。上記の一節には爆笑しました。
あれを見ていらっしゃるとは…。(^^;
>少なくとも、本人は「俺はギブソニアンだ」と公言しています(笑)
確かに、「生態学的心理学」という意味では、嘘ではないですね。(笑)
>因みに、わたしが問題に思っているのは、ギブソン原理主義者は決して言語を説明
>できないだろう、という点です。
スキナリアンのぼくとしては、「そのための行動分析学です」と言いたいところですが、それについてはまた後日と言うことでお願いします。
ださ。 しかし羽尻さんてそんな昔からあの界隈のウォッチャだったんすか。
1998年4月頃っすね。きくち掲示板の過去ログ残ってないみたいなんで、
再現して続きをやっていただけるといいなあ。
「アフォーダンス。ギブソンより生まれし認知科学にとって忌むべき存在」
って第弐拾四話カヲル文字で書き込んだのは誰でその真意は何だったのか、とか。
(それが何のパロディーかを教えてくれたのが黒木さんであった)
山形さんの質問への回答はどーなったのか、とか。
> >山形さんと議論したとき
>
>いえ一方的に教わっただけだったではないっすか。
「アフォーダンス理論。ギブソンより生まれし、認知科学にとって忌むべき存在。
そしてそれを利用してまで生き残ろうとする認知科学。僕にはわからないよ!」
っつー一節で始まったやつですね。上記の一節には爆笑しました。
> で、このやりとりでぼくが思い出した昔の疑問点:
>
>1.アフォーダンスというのは検証可能なものなのか? ただの言い換えなのか?
これはDeepですな。検証可能性の問題を引っ張り出すと、世間の学説は軒並み
ぶっ飛んでしまう気もするのですが。
っていうか、言い換えじゃない学説なんてあるのか、疑問です。
>2.アフォーダンスのアプリケーションってなにか考えられるのか?
ロボット、かな〜
さっきの投稿では私のアフォーダンスに関する考えを書き損ねたので。
> ヒトや動物の個体内部では、神経生理学レベルの情報処理が、実際行われているわけですが、心理学(知覚)レベルの問題を考える場合には、主要因
> は環境側にあるのだから、それらはどーでもいいことである、というのがギブソン(そして、行動分析学のスキナー)の立場だと思います。
私はこの解釈とはちと違っていて、それほど勉強したわけではないのでエラソーにいえたものではないですが、
「コップを取るためにコップを見たのか、コップが見えたからコップを取ったのか、が実は区別できない」
っつーのがギブソンの主張ではないか、と思っています。
しっかし、こりゃ検証不可能ですね。でも、検証可能なものだけに価値があると私は思ってはいません。
>山形さんと議論したとき
いえ一方的に教わっただけだったではないっすか。で、このやりとりでぼくが思い出した昔の疑問点:
帰ったら調べてみるけど、どうなんです?
御指摘のKelsoさんが私の例に出した件のKelsoさんです。
彼がゆがんだギブソニアンかどうかは、生態学的心理学の裾野の広がり具合と
相関しているのではないでしょうか?少なくとも、本人は「俺はギブソニアンだ」
と公言しています(笑)
脳での情報処理の否定というギブソンの教義をどう解釈するかは、ずいぶん曖昧性
の高いものだと思いますが。
因みに、わたしが問題に思っているのは、ギブソン原理主義者は決して言語を説明
できないだろう、という点です。
羽尻さんが例に出されたKelsoさんって、 この方でしょうか。もしそうだとして、研究歴をみると、どう考えてもギブソニアンには思えません。私にとっては、この方がギブソニアンであることより、森首相がギブソニアンであることの方が、まだ信憑性が高いといえます。(^^)
>Kelsoとかの脳科学と直接知覚の関係の研究などがかすれていると思うのですが。
しかし、そういった研究こそが、ギブソン理論から見れば「ゆがんだ」ものなのではないでしょうか。佐々木さんの場合、脳による情報処理の否定、という点では、ギブソン理論に極めて忠実だと思いますが。
>生態学的心理学が反情報処理的だというのは安直な気もしますが。
ヒトや動物の個体内部では、神経生理学レベルの情報処理が、実際行われているわけですが、心理学(知覚)レベルの問題を考える場合には、主要因は環境側にあるのだから、それらはどーでもいいことである、というのがギブソン(そして、行動分析学のスキナー)の立場だと思います。そういった意味では、じゅうぶん反情報処理的だと思いますが。
ギブソン本人は情報処理について以下のようなことを言っています(以前菊池さんの掲示板で山形さんと議論したときにも引用した個所です)。
伝統的知覚理論の後継者たちは、最近、自分たちが仮定するのは感覚作用ではなくて
現代的語義での情報処理であること、そのために自分たちは旧来の知覚理論に束縛
されないことを主張している。しかし、彼らのしていることは、知覚が入力の処理だと
いう旧来の仮定を再評価することなく、最新の流行つまりコンピュータの流行に便乗して
いるだけのように、私には思われる。彼らに「情報」という語の先取りをさせたくはない。
私の語法のように、情報とは、処理されるべきものではない。
(G・G・ギブソン『生態学的視覚論』古崎敬他訳、サイエンス社、266頁)
佐々木正人さんのギブソン理解が、かなりバイアスのかかったものであると言う点については、羽尻さんに同意しますが。
>あの…、アフォーダンスの概念って、現在の学生がこれからちゃんと勉強しておくに
>値するものなのでしょうか?
心理学科の学生には必須でしょう。ただそれ以外の人たちにとっては、まず伝統的な知覚理論をきっちり勉強することのほうが重要だと思います。
まず、私のHPの「世界は規範に満ちている」は、私の意思を含意するものとして
Linkを張っているわけではなくて、ある種のアイロニーだと思ってください。
私の同僚だった(私はどうかな〜と思っている)Tom RayのTierraとか、あの
ページはなんか何でもぐぶぐぶ飲み込んで作っているので、研究者としてはなんだか
背筋が寒くなる思いがしたので、リンクした次第です。もちろん、私が作成した
コンテンツではありません。
アフォーダンスに関しては日本では特にゆがんだギブソニアンによるゆがんだ紹介が
多く、日本以外でのアフォーダンスを取り巻く状況と比べて極めて奇異であるとだけ
言っておきましょう。
どの理論に学ぶべき価値があるかなんて、そんなの学ぶ人の責任ですよ。
他人の意見に左右されて学んだり学ばなかったりするから、学閥なんてくだらん
ものができるんです!(思わず力コブ)
あの…、アフォーダンスの概念って、現在の学生がこれからちゃんと勉強しておくに
値するものなのでしょうか?
たとえばドン・ノーマンがアレンジしたテクニカル・デザインの実用的タームとして
といったことではなしに。
(私自身はギブソンのこの造語が初めて登場している(と聞いた)3冊目の著作
『生態学的視覚論』のその箇所をさらっと読んだ程度です)
>日本では佐々木正人さんの色がそのままギブソニアン色になってしまいすぎていて、
でも羽尻さんの世界は規範に満ちている:Againの中のアフォーダンスの項は
佐々木正人著『アフォーダンス―新しい認知の理論』(岩波科学ライブラリー)から
抜き書きしただけのものですよね。
ところで本日掲載予定だった拙稿ですが、添える写真の使用許可がまにあわず延期となった
そうです(最短でも1週間後)。しくしく。山形さんの気持ちが少しわかるような。
東さんの出版記念イベント関連は身内の不幸と時期が重なったりもしたので 行ってないんですが以前の印象でいえば、 どういう種類の「おしゃべり」かにもよるような気が。 社交的なおしゃべりと対談的なおしゃべりと、講演なおしゃべりと。
生態学的心理学が反情報処理的だというのは安直な気もしますが。
日本では佐々木正人さんの色がそのままギブソニアン色になってしまいすぎていて、
Kelsoとかの脳科学と直接知覚の関係の研究などがかすれていると思うのですが。
ついつい連想してしまうのがギブソンのアフォーダンス理論だったりします。(^^)
『郵便ポストは手紙を郵送することをアフォードする』というのが、反情報処理心理学である、ギブソンの直接知覚理論の真骨頂でありましょう。
朝日が赤いとはかぎらないように(ちょっとちがう)
USAが青なのはよく知られてるけど、シンガポールは白、ベトナムはオレンジ色でした。
(しかもベトナムは街中にはまず存在しないから見つけるだけでもすごいゾ)
モンゴルにはポストがないんですって。とゆーことはつまり…
http://ha4.seikyou.ne.jp/home/kojima-lab/ander/mono/m002.html
http://www.iptp.go.jp/museum/yusei/chiiki/chi05.html
(こんなところで再利用できたよ〜♪>kajantulさん)
たかたさん、それフォローなさってるおつもり?(少なくとも反論にはなって
ないですよね^^)
>誤植ではなーい。なんか変な漢字で、それ以外に読みようがなかったのである。
SHRIEK..SHRIEK... それは失礼いたしました。
ぽすとだもん(嘘)
玲奈さんのリンク先、読んでみたけど、「内容がない」とは思わなかったな。
いや、内容があるって思った訳じゃないんだけれど…。
あれは、ああいう種類のマーケティングというか芸風だと思う(その意味ではすごく上手だと思う)。
小噺打つ山形さんにちょっとひいちゃったかも(笑)。
ところで東クンがこんなにズタズタに(涙)。
そんなつもりじゃなかったのに。
ちょっとだけオーバードーズじゃないかなーと思ってただけなんです。
東クンごめん。いやはや、ここの部室じゃいつも東評はガタガタっすね。
>この名前なんとなく誤植っぽい気がする。 誤植ではなーい。なんか変な漢字で、それ以外に読みようがなかったのである。