崎山さんの記事に触発されてこんなのを作ってみました。 まだあんまり面白くないですが。
「ようご」がひらがななのはわざとです。
別名、ジオンの『赤い彗星』。ルウム戦役ではMS一機で戦艦五隻を沈めたという、戦力数の圧倒的に劣るジオン公国においては非常に重宝する優秀な腕前の持ち主の士官(少佐、後に大佐)である。
自分の機体を赤く塗り「ジオンにシャアあり!」と宣伝して本国の士気を高め連邦を奮えあがらせる宣伝部的な役割も持つ。一年戦争中は顔の火傷(?)を見られるのを嫌ってガンダム目玉(笑)のマスクをしていた……というのが一年戦争当時の一般的なシャア=アズナブルに関する情報(Byジオン公国)。
だがその正体はジオン建国者でありジオン共和国初代首相ジオン=ズム=ダイクンの長男(UC0059年生まれであり、アムロ=レイより3歳上)であったキャスバル=レム=ダイクンであるのは周知の通り。UC0068年にジオンがザビ家の陰謀によって暗殺(公式発表では病死)された為、ジオンの側近ジンバ=ラルによって妹アルテイシア=ソム=ダイクン(後のセイラ=マス)と共に地球連邦に亡命、南欧の名家マス家の名を買いエドワウ=マスを名乗る。そんな当時の複雑な状況を幼少(当時9歳)だった彼がリアルタイムで理解していたとは考えにくいので、育ての親であるジンバ=ラルの教育によってザビ家への復讐心が培われたと考えるべきであろう。
とにかく彼は両親を殺してジオン共和国を乗っ取ったザビ家を憎み、滅ぼそうとしたのである。勿論火傷云々は万一にも正体を見破られないように顔を隠す為に仮面を被り続けるの嘘であった(小説版では自ら傷をつけていたが)。だが幼少の頃一緒に遊んだ事もあるキシリア=ザビには見破られていた。UC0075年、彼が16歳の時に共和国から公国と名を変えていたジオンに入国し、ジンバ=ラルが家名を手に入れていたサイド3のアズナブル家に入籍(一説には本物のシャア=アズナブルという人物を暗殺してすりかわったとも言われている)。
(略)
シャアは自ら推薦したハマーンを補佐しジオン公国再建のために働いていたが、政策方針の不一致もあってUC0084年(デラーズ事件の翌年)に地球圏の偵察を名目に自らの支持者を連れてアクシズを離脱する。そして戦艦一席分もの地球連邦軍軍籍を偽造、彼らと難民収容コロニー・スィートウォーターで独自の組織を作り、自らはクワトロ=バジーナ大尉と名乗る(ちなみにクワトロという名前は真の名前であるキャスバルから数えて四番目の名前という意味である)。後にこの組織がシャア・ネオジオンの基盤となった。
http://www.ngy.1st.ne.jp/~mynote/db/ch3-1.htm
探せばあるものだ。
>キャスバル、クロトワなども可。
クロトワではなくてクワトロ・バジーナです。
もしくは、キャスバル・ダイクン。
クロトワというと、ナウシカの…
キャスバル、クロトワなども可。
>それって「俺がアムロでお前がシャー」だー、ってことで。
シャーじゃなくてシャアです。
>Class Object とかreflection を出発点にして濫用した ほうが「だまされ」
>やすそうな気がするのだけど
テツガクのメタファとして、そういうのが出てくるのでなくて
そういうメタレベルインターフェイスの解説が現代思想っぽいというのなら
何度か見たことがある。
なんでそこまでって思うくらい、東くんは碇シンジに似てますね、確かに(笑)。
因みに上野俊哉氏がいつも「俺と野衣はさ…」って言うのを奇異だと言って、
サワラギ野衣+毛利嘉孝+私で笑ってたことがありました(ゴメン)。
それって「俺がアムロでお前がシャー」だー、ってことで。
>あまりのぶざまさに、嘲笑するレベルをとおりこして、悲痛さや哀れみすら感じてしまうさま
が「痛い」なら、「寒い」はどういう感じでしょうか。
みなさまへお願い。
ご自分の発言に明確なコメント先がある場合は、できるだけreply機能(名前の右にある)を
使って書き込んでくださいますよう。複数の話題が並行している場合に、元発言がたどり
やすくなるし、誤読が多少なりとも軽減される効果が期待できますので。
>ところでこういう話をするなら、Class Object とか reflection を出発点にして濫
>用したほうが「だまされ」やすそうな気がする
このちょっと先に、例のソーカル達のパロディ論文があるのだという気がします・・・・
ついでに書きます。
物理学者が現代思想に関して何か書くばあい、普通に期待されるのは、自分の専門的な研究に根付いた思想的な創見ではないかと思います。
でもソーカルらのやったことは、ただ有名な思想家が間違えて数理的概念を用いているという指摘なので、肩すかしを食ってしまうんです。(それだけでも大変な指摘ということなのかも知れませんが)
図が p.234 で、文章では p.235 にて
存在/存在者の二レヴェルが短絡させられたそのシステムを、私たちはここで、 浅田彰が『構造と力』で用いた図を転用し「クラインの壷」で表現したいと思う[図1-2a,b]。
というやつなので、「同じ誤用」というよりは誤用のimportですね。 (ところでこういう話をするなら、Class Object とか reflection を出発点にして濫用した ほうが「だまされ」やすそうな気がするのだけどそういうのって誰か書いてますかね?)
まず、バカよけのおふだを貼り付けておくかな。ペタッ!
[ こんど、この手のバカ検出用語集をつくろう。 ] [ あとはなんだろう。 ] [ 相対主義にオートポイエーシスにクオリアに…… ] [ ] [ 山形浩生 ]
「バクシーシ山下と柳下さんとの区別がついていない時期があった」を見て笑ってしまいました。似ているの?
>ただ、昔はギャグとギャグ的な失敗や勘違いを
>形容する言葉でしかなかったような気がするけど。
いまはそれが転じて、あまりのぶざまさに、嘲笑するレベルを とおりこして、悲痛さや哀れみすら感じてしまうさま、あるいはそういう人たちを さす、のですよね。一応確認。
あと、現代思想でなくても平等に罵倒しているつもりなのですが……
>C 言語はアマゾン.ドット.コムのコンパイラープログラムにも使われて
>いる
原書は持ってないんですが、これって単に、アマゾンはソフト書きにCを使ってる、という だけの意味でしょう。「コンパイラープログラムにも」ってとこで ひっかかるけど、「コンパイラとしても使われていて」にしてあればそんな混乱もなかったでしょう。 実際にやってることは、Axeさんご想像のとおりだと思う。
> 東氏がここやクオリア・ミステリー掲示板を見ているという可能性もあるので、
とか郵便的未満(?)なことをいってないでメールしちゃうとか、入ってるはず
のMLで紹介してみるとか、だれかしてみるとか:-)
> 因みに東クンの奥さんも私と同じ学年(遅生まれ)です。
> あそこんちは年上妻なんですが、妻の方が若く見えるっていうか、ロリっていうか。
せいぜい 2,3歳上くらいだと思っていたのだけど...、お若い(^^;
> 山形さんはぼくを敵だと思ってるでしょう!
シンジくんというフレーズを連想してしまった(のは当然?)
もしあたってるとして、天然なのか演出なのか?(コンスタティブ?パフォーマティブ?):-)
東氏の書き物では「ソルジェニーツィン試論」が最高だと思います。
それより昔上野俊哉氏に因縁つけられてたのはかわいそうだった。
>東さんを敵だと思ってるでしょう!
いや、なんか、現代思想系の人への山形さんの攻撃は過剰に強い気がするんですが。
気のせいでしょうか?
「痛い」の体(や心)の痛みを表すのでない用法って、そもそも、
「ふつう掲示板とかでいう」言葉じゃないんじゃないんですか?
少なくとも僕に関しては、(Webとかのない)かなり昔から
使ってる気がするし。ただ、昔はギャグとギャグ的な失敗や勘違いを
形容する言葉でしかなかったような気がするけど。
吉本か松竹あたりが発祥なのかも。
この歌はギャグなんでしょうか。 そういえば。 バクシーシ山下と柳下さんとの区別がついていない時期があった。
『ふかし』と合わせて、表を更新しておきました。
お2人とも黒いTシャツ。八谷さんはアニエスベーかな。半ズボンがかわいい。
山形さんのは 2600の数字と何かの図入り(なんだろう)。
ポストペットといえばモモ。モモといえば、古屋兎丸『Palepoli』の
連続殺人鬼クマちゃんを連想してしまう今日この頃。
古屋兎丸と砂氏の TINAMIXの対談はおもしろい。
TINAMIXといえば編集者に大下さなえさんの名前があったような…
(そして話はループ…)
ををを、COIL! >紹介の壊れ方は分かったような口聞く奴に比べりゃポイント高い たぶん、かれらはなにも考えてないんじゃないかと。 なんつっても 「床屋さんのあのクルクルは〜俺を引きつけてやまな〜い♪(クルクルフェチ)」 とか歌う人たちですから。(アホらしすぎてなぜかこの歌は好き) タイトル拝借といえば、バクシーシ山下の「全裸のランチ」は可? 山形さん、BT拝見しました。この写真では一層でっかい人に見えます。 中身についての感想はまた後日書かせていただきます。
COIL って、4AD系のなんかかしら、と思って見たら…… でもこいつらの「いたい」の用法も、かなりちがうなぁ。
さんのサイトはhttp://www1.linkclub.or.jp/~grooveid/naru/01.htm。
1963年生まれ(学年は山形さんと同じ)、兄は小説家・菊地秀行。
ティポグラフィカもすごかったけど、スパンクハッピーもすごい。
>東クンはホストなんだから、もう少し考えればいいのに。
あれはこわかったんです。さいしょの15分くらい、ふんふん、そうかねえ、デリダねえ、 あんまりフリーソフトを現代思想っぽく深読みしてもしょうがないのでわ、とちょっと否定的な対応をしていたら、いきなり
山形さんはぼくを敵だと思ってるでしょう!
と言われて、こ、これはにこやかに対応したほうがよい、と思ったようなことを記憶して おります。
>いつもの本屋で立ち読みしたのですが、あまりにイタすぎてわけがわかりません
>でした…。でもタイトルだけは気に入っていて、いつか使ってやろうと思ってい
>ました。
という、紹介の壊れ方は分かったような口聞く奴に比べりゃポイント高い。
でも、この曲は趣味じゃないなぁ。
「裸のランチ」をタイトルにした曲と言えば、
日本のジャズロックの極北と謳われた伝説の変態バンド、
ティポグラフィカのものがあります。ご存じでしょうか?
詳細はこちら。
このバンドは、他にも「クローム襲撃」「重力の虹」など、いかしたタイトルの曲を
演奏しています。楽しい人たちですね。解散してしまいましたが。
これらのタイトルを付けた菊池成孔というプレイヤーは、
現在は「デートコース・ペンタゴン・ロイヤルガーデン」という前衛ファンクバンドにて
「アイアンマウンテン報告」と題したクラブギグをやってました〜。
既知情報でしたら、失礼いたしました。そぐわない話題でしたらごめんなさい。
またROMさせていただきます〜。
COILというグループが、「裸のランチ(試聴はここ)」というタイトルのシングルを出すそーです。
しかも、BSのエンディングテーマにもなるとか。
COIL自身の楽曲解説も愕然。
山形さん、こいつらなんとかしてください。
つい、山形・東対談を立ち読みしてしまいました。 東クンが一方的にしゃべっていて、山形がただ困っているだけという、 なかなかすごいものでした。 東クンはホストなんだから、もう少し考えればいいのに。
すんごいお姉さんです。私は山形さんと同じ学年(早生まれ)です。
なんか文句ありますか?(笑)
因みに東クンの奥さんも私と同じ学年(遅生まれ)です。
あそこんちは年上妻なんですが、妻の方が若く見えるっていうか、ロリっていうか。
「ラムちゃんってより、てんちゃん」って感じの人です。筆名大下さなえさんです。
こんなことなんでこんなとこでわざわざ披露してるんだ…
この板では、はじめまして、 Axe と申します。
山形さんが解説を書いている「アマゾン.ドット.コム」、めちゃくちゃ
面白いのですが、コンピュータ関係の記述でちょっと悩んでしまう記述も...
「当初、アマゾン.ドット.コムのシステムのほぼ全てが、UNIX システムの
事実上の標準言語であるC言語と呼ばれるオープンソース・ソフトウェア・
プログラムで記述されていた」(p.88) う、うーん。
「C 言語はアマゾン.ドット.コムのコンパイラープログラムにも使われて
いる..... C 言語をサポートする言語として、Perl というテキスト整形
言語があり.. 」(p.88)
最初私は、アマゾンの連中は C コンパイラから自作したのかよおいおい、
といぶかしんだのですが、これはおそらく Perl で書かれた「プログラム」
を C backend 指定(例えば perl -MO=C,-ofoo.c foo.pl みたいな奴)で
「コンパイル」して、その後に出来上がったものをいじるかなにかした後
にコンパイルして実行した、ということかな〜と想像したのですが。
原書ではどうなっているんだらう。
不適切な科学用語の濫用という言語運用の問題ではなく、
単純に技術動向や技術内容を理解していないことが問題なのです。
ソーカルを引き合いに出すまでもないです。
ああ、それはぼくが紹介していたやつです。えーと、とりあえず、巻末に あって議論の出典なども含まれていてとても参考になったFurther Readingsの 部分が完全にぶったぎられているのは大きな欠点ですが、すごくおもしろいし 勉強になる名著なのはまちがいないので、ぜひお読みください。
同じく倉骨訳の、ダニエル「並列コンピューティング」ヒリスの本も 今出ているんだけれど、あれはどうなんだろうか。
『不過視なものの世界』は金が無いので買えず、本屋で少し立ち読みしました。
あとがきには、無関係な対談の寄せ集めに思われるかもしれないので最後の阿部和重との
対談から読んでくれると趣旨がわかる、といった内容の事が書かれていたと思います。
兵庫〜大阪近辺では結構大きな本屋でないと置いていないみたいで目立つところにもありませんでした。
羽尻さん
>ほんとに買って損した。
>東北大の黒木さんの心境とでもいいますか(笑)
不適切な科学用語の利用があってもそれが発言者の思想家としての重要性や本の価値など
を下げる事にはあまりならないと思います。
同じような事が『「知」の欺瞞』にも書かれていたと思います。(私の誤読かもしれませんが)
山形さん
>でも読まないだろうし、それ以前に存在すら認知してはもらえないと思いますが。
東氏がここやクオリア・ミステリー掲示板を見ているという可能性もあるので、
的を射た攻撃的な発言を続けていたら羽尻さんの本を買う可能性も高いと思います。
時々覗いております。はじめまして。 あんまり難しい話はわからないので、浮いてるかと思いますが、 もしご存じなければ、と思い投稿いたします。 以前、CUTで山形さんが紹介されていた本と思しきものが、草思社より 「銃・病原菌・鉄」(上下2巻 倉骨彰訳)という書名で出版されているようです。 池沢夏樹さんが紹介しておりました。まだ現物は見ていないのですが、とりあえず。
べつに妬ましくはないですよ。
ただ言説がタコだとのたまっているだけです。
レトリックですよ。
強いて言うなら、東北大の黒木さんの心境とでもいいますか(笑)
存在の認知なんて、べつに然るべき状況ができればされるもんでしょ?
>来年出る私の本でも読んで頭冷やして欲しいですね。 そんなにねたましいですか。 でも読まないだろうし、それ以前に存在すら認知してはもらえないと思いますが。 残念なことですね。
IMEに頼っている私のアホさ加減が露呈してしまいましたな(笑)
ともあれ、東君はダメダメっす。
#私は東君より1こ年上だ。
来年出る私の本でも読んで頭冷やして欲しいですね。
美術手帳2000年11月号で、八谷「ポストペット」和彦と対談してます。
羽尻さん、“バクダン発言”でご登場?
「不可視」→「不過視」ですね。
開発さん、
東浩樹氏を「東クン」とお呼びになるということは
けっこうお姉さん?
崎山さん、
そうして待ってるうちに ebookoffで出回ったりして ^^
山形さん、
Q&Aを増やしておいたので、どうぞよろしくお願いしまふ!
答えにくい質問でいぢめてみたいのだけど、なかなか思いつかないよ。
8月28日に行なわれた『サイエンス・ウォーズ』出版記念パネル討論に関して
まとめたものを東京大学出版会のウェブサイトで公開することになっていたのでは?
うやむやになっちゃったのかな。楽しみにしてたのになあ…
(不平等社会日本を考えるための33冊フェアなんてやってますね。)
『不過視なものの世界』を評価する以前にまだ買えてない(bk1でだきあわせる 5000円以上のブツがいま思いあたらないし、近所の本屋にはまだはいってない) のですが、とりあえず山根さん対談の最終バージョンは見たいかな。
で、東さんサイトの文章をひごろ細かく読んではいなかったりしますが、 とりあえず某駅前のパキスタン料理屋はうまいのかぁ、という収穫はあった:-) (まだ行ってないけど)
> 情報共有というTCP/IPの特性 ですか。知らなかった。。OSの開発がそんなにIT国家に必要なのでしょうか? ITは、道具だと思うのですが。。
10/22放映のNHKスペシャル「世紀を越えて」がオープンソースを取り上げる模様。しかし、<a href="http://www.nhk.or.jp/special/top.html>ここ</a>を読む限り一抹の不安が...
『不可視なものの世界』を。
>喋ったのは95%東、って、いつ会っても東クンはものすーんごいお喋りなんで、
Very likely…と思います。
いや〜、「不可視なものの世界」、読みましたが酷いですねぇ。
東氏は全然しらないAIとか計算機科学とかを本当にその場の勢いで
適当に語ってるし、第1章の斎藤氏は「生成のモデルといったらオートポイエーシス
くらいしかなくて・・・・」なんてえ〜かげんなことほざいてる。
オートポイエーシスは言説の段階で定式化出来てない(つーか、既存の数学では
できないことが証明されている)のに、それをモデルとのたまう無神経。
ほんとに買って損した。
・『不過視なものの世界』が出ていますね。私はまだ見ておりません。
「実際にしゃべった時間は、 95%が東」と聞いて、興味が激減した、というのが正直なところ。
すでにお読みになった方はいらっしゃいますか?
・ドイツ語圏の医学教育、医療制度資料を翻訳しているページがありました。そこのリンクから、
英国GMC関係資料 (General Medical Council, U.K.)の翻訳ページも。
※ 山形どうよ@2chには私は何も書いてません、ねんのため。でも、参考になることはあります ^^
山形さん、軽いボケを披露していただいたのだと推測するのですが
当方、無教養につき、ちょっと、ついていけませぬ。
("holy fear"という本があるのでしょうか?)
ので、マジレス。
ええと、これとか、これです。
SF的(テクノロジー的)には結構リアルなんですが、どこかの掲示板で、柏木さんが
読むように薦めてくれた(大分昔のことなので、どこでだったか忘れました)
クルーグマン「グローバル経済を動かす愚かな人々」で(経済学的に)未来の
国家像としてリアルな国家形態だと評していたので、気になっているのです。
「ホーリー・フィアー」って、確かあの中世ヨーロッパでバチカンの死者が天国に 戻りたがっているサタンの頼みで聖杯を探しにいく話ですよね。立ち読みした だけなのでアレだから、こんどちゃんと読んでみます。「汝、悪魔の御業をなせ」っての は記憶にある。
壷の話が終わったようなので。
ええと、山形さんへの要望というか、書評してほしいのが
スターリング「ホーリー・ファイヤー」でございます。
一度、あの小説の世界の奇妙な国家について、論じていただきたく候。
お昼からサンマの塩焼きをいただいてしまいました。内臓の苦ーいところが好き
(ちょっとハズカシイ)なので、開きはちょっと物足りません。
さて。
部室に来る方々の大半はもう壺の話題にはすっかりあきれて
おられるでしょうから、遅きに失した感はございますが、これで
おひらきといたしましょう。
まだ言い足りないことがある方は、ご自分のウェブページなり掲示板なりのURLを
ここにお書きになって、そちらで存分にお続けください。
そのほかの方々は、貴重な少数意見を偏見と先入観と数の力で抹殺することなく
あたたかく見守るか、または各人の責任においてご自由に参加してくださるよう、
衷心からお願いもうしあげます。
1.山形さん、「構造と力」P209の図2'がどんな図形であるか、山形さんの言葉で説明していただけますか?
ぼくはこの本を読む前に、おおよそこんなところ↓だろう、と予想しました。
>1.プレモダンよりも相対的にするために、プレモダンの円錐を2つ用意して…
>2.でもそれだけだと、円錐の内容はまったく変わらないから、円錐の頂上をパイプでつなげて…
>3.それをほっとくとリゾームの原型になってしまうから、一国モデルを保持するために、2つの円錐の底面を重ね合わせて…
というか、なぜ山形さんは「内容はいいからまずP207-209を読んでごらん」と書かれなかったのでしょうか? 浅田彰の勘違いが、ここの部分で一発でわかるのですけれど。
2.床屋の床にちらばった髪みたいなのがリゾームだなんてヒドイ! リゾーム(根茎)というくらいだから、てっきり、根っこがジャガイモみたいにところどころで膨らんだものだとばかり思っていた…。
3.92年に検収されたこの本、P50まで手垢でかなりへたっているのに、そのあとは異様にキレイ。なんてわかりやすい本なんだ。
----------------------- () ) -----------------------
bk1で読める山形さんの書評ですが、前回の玲奈報告のあと2件追加されてます。
『オープンソースソフトウェアによる全文検索・データベースWebの作り方』と
『Japan underground』。
やまがたファンならとっくに登録してると思うけれど、「bk1 Express」の
書評に関する新着情報で、書評氏に「山形浩生」を登録しておくと、メールで連絡が
来るので、読み逃すことがなくて多い日も安心。
それ以外に「週刊ビーケーワン」てのが始まったみたいだけど、連載コラムなんかは
ウェブに載ってるのとはまた別なのかな。わかんないね。
柳田さん、あまり一つの掲示板で活躍すると「有名」になっちゃうよ。
ヒットアンドアウェイが大事なのでは。
たたき台になっている山形さんの文章すら見えていない「腰掛け参加」な私を許してください。
ところで名前の件ですが、私の場合はこの字で「かいほつ」って読みます。
美術の作家に「開発好毅」とかいう人がいるんですが、同姓の他人で、そっちはカイハツ君です。
あ、失礼しました>こぞの様
直前の開発さんの書き込みと自分のを見比べて、ちょっと迷ったんですが。ぼくの投稿にたいするツッコミにみえてしまって。(時間のタイミングもぴったりだったし)…こっちが間違っていました。
すいません、この話題とは何も関係ないのですが
連呼されているのでついにいてもたってもいられなくなってしまいました。
「開発」さんてご本名のようですが
その御名字について、かねてからとても興味があったのですが・・・
(過去に一人いらしたのだが、その字だと思っていませんでした)
もし、よろしかったらお話を伺いたいのですが・・・
私はこういうものです↓
http://www.ne.jp/asahi/miyano/miyano/
あ、それだけです。失礼いたしました。
>こっち(わたし)と間違えたんでしょう?
はあ? なんのことやら。あなたに対していうことは
別になんもないのでどうぞご安心しておつづけください。>柳田(西麻布)さん
ただの筒なんですよ。浅田クラインは。見えない人は、正式なクラインの壺の先入観で、そのように見えないだけ。
みんなでクラインの壷クラインの壷ってあおるから,ついつい注文しちゃったよ!(^^;; マグカップも買ったんだけど,注いだビールが循環しない事を祈る。
実は往復なんだったら,クラインの壷だトーラスだ言ってないで,それこそただの筒で良さそうなもんだが。
です。そこんとこ世露死苦。>開発さん
とのことだけど、こっち(わたし)と間違えたんでしょう?
山形さんは「モダンはアサダ壺でいーのにい」といっているのだ。そこんとこ世露死苦。そしてタイトルで「めぐらないのだ」といってるのは、正式なクラインの壺が、だぜ。そっちのほうも、世露死苦。
『「知」の欺瞞』ローカル戦:浅田彰のクラインの壺をめぐって(というか、めぐらないのだ)
です。そこんとこ世露死苦。>開発さん
お金は、もう特権的な地位があるからお金として成立するんじゃない。お金は商品の価値を示すけれど、なぜお金でその価値が示せるかといえば、その商品がお金と交換できるからであって、それはお金が商品と交換できるとみんなが思ってるからで……と、お金そのものの存在根拠みたいなのは確定しておらず、そういう堂々巡りの中にしかない。
あたりまえですけど、これは堂々巡りではありません。価値の判断主体が、価値の参照対象を、「お金」か「商品」か、と考えを、行ったり来たり、させているのを表わしているのですから、めぐらないのです。いったりきたりするのは、(無限の)往復であって循環ではありません。(もちろん、これを循環と表現しないと浅田説は成り立たない。同時に、この箇所を図示するときは、一見循環を示しているようで、実際には(実態である)往復をあらわしている図形を探し出す必要があった)
あと、モダンがトーラスではいけない理由。トーラスには不動点がないので、このあとにポストモダンを要請する根拠がなくなるから。
ヒーメン、って行くのがニューアカの基本でしたね。
ところで、山形さんの「浅田クラインの壷」批判が、
ソーカル話ブームに乗ってしまったのは故意ですか?
> じゃあなにが問題なんですか(笑)。 「クラインの壺」という魅力的な用語で幻惑しようとしている事が問題です。 浅田本人は幻惑しようとしているわけではなく、自ら眩惑されているだけかも しれませんが、いずれにせよ読者の中に眩惑される(欺瞞にひっかかる)人間が 出てくる事になります。 それから柳田さんのおっしゃる「浅田クライン」というのは、ようするにトー ラスに「浅田の都合によって存在したり存在しなかったりする面」言い変える と「落下する物体は自由に透過するけれど上昇する物体は透過できない半透膜 というか弁というか、そんな機能を持った面」を付け加えたものですね。
プレモダンのモデルに円錐を採用するのはオッケーだけど、モダン図を浅田クラインで表現することは間違っている、と思っているひとは、浅田の意図がわかってないんじゃないかと思う。モダン図をトーラスで表現してしまうのは凡才。
もちろん下で言ったように、すべての図を削除するのは、いちばんすっきりした解決法。
>そこに書かれた科学的知識が単体としては正しい理解であっても、
>比喩として全く不適切であって、
>分からないのに分かった振りだけをしてしまう読者の態度を助長するよう
「構造と力」で起こっていることは逆の現象です。
浅田の科学的知識(クラインの壺についての知識)は単体としては正しい理解でありません。比喩として適切なのです。「ややこしい」のは見かけが、知の欺瞞に似ている、という点だけです。
>(科学論者でもない一般の)思想家が科学に対して詳しくないこと
>について批判してなどいません。
じゃあなにが問題なんですか(笑)。そちらの主張こそ一貫してないんですけれど。「クラインの壺」という魅力的な用語に幻惑されないでください。(浅田と一緒だ)
もちろん、プレモダン図を円錐で表現する必要はもとからないので、プレモダン・モダン・ポストモダンを図示することをもとから止めてしまう、というのもありかもしれない。
知の欺瞞というのは、(科学的な)知識の正しい理解を必須とする文脈で、それを正しく理解していなかったり、あまつさえ巧妙な欺瞞を弄して言い逃れることを指すはずです。
「『知』の欺瞞」もお読みになっていないようですね。
ソーカルとブリクモンが言う「知」の欺瞞というのは、科学的な知識を、それと無関係な文脈に持ち出して自分の論を正当化することを言います (もう一つ、曖昧で解釈によっては過激な主張に取れるが、字義どおりに読むとわざわざ主張するまでもないような自明な主張になる表現をしておいて、後で相手の出方次第で反応を変える態度に対しても非難を向けていますが、これはクラインの壷の話には直接は関係しません)。そこに書かれた科学的知識が単体としては正しい理解であっても、比喩として全く不適切であって、分からないのに分かった振りだけをしてしまう読者の態度を助長するようであれば、「『知』の欺瞞」と呼ばれるに足るのです。(実際には科学を引き合いに出している現代思想家の書いた「科学的」比喩の多くが、意味不明なたわごとの塊(「無意識はトーラスとして構造化されている」とか)であることを細かく説き明かしたのが「『知』の欺瞞」の主な内容なのですが。)これって、柳田(西麻布)さんの言う「ややこしい事態」そのものではないですか。ソーカルとブリクモンが批判しているのは、上に述べたような議論の態度に限定してであって、(科学論者でもない一般の)思想家が科学に対して詳しくないことについて批判してなどいません。
ここで言う、カギカッコ付きの「知」というのは、裸の王様の着ている(王様と取り巻きだけが見えたつもりになっている)きらびやかな「衣裳」のような役割を果しています。わざわざカギカッコがついている意味は、読まなくても分かっていただけますよね。
話は変わるけど、「精神分裂病のように」という比喩もなんだかな。浅田の言う「スキゾ」ってのは、分裂病よりはるかに多重人格に近いのではないかと思うのだ。
私の表現が不適切で誤解されている気がするので、あらためて何を言いたいのか書きます。
なんばさんの理解では、読者にとって「類推」は負担する必要のない作業なのですね。
先にあやまっておきます。円錐との比較による「類推」ではなくて、そういう作業も含めて浅田氏の意図を「推理」することは不要だと言うべきでした。訂正します。(「日本語の間違い」というのはそういうことでしょうか?)
で、私は推理一般が不要と言っているのではありません。社会モデルの提示などという肝心なところで推理しないとわからないような説明しかしないのは、「想定している読者に理解できる言葉でできる限り明晰に説明」(『「知」の欺瞞』p.13)していないわけで、そこでもう間違っていると言いたいのです。「わざとわかりにくい書き方をして、中身がないことや凡庸なことを用心深く隠そうとしている言説」(p.247)や「曖昧さは逃げ道なのだ」(p.251)などと、疑われても仕方がないのでは? (ラカンの真似だとしたら「権威を笠に着た議論」(p.250)の疑いもあり。)
そして、そうじゃない(解釈可能だとか、悪意はないだとか)ことを論証するのは読者の役目ではありません。別にやってもいいけど、こういう状況で読者がそれをやると推理に頼るしかなくなって、既に深遠さを感じてしまっている人は「こじつけ擁護」に走ってしまうし、逆にうさんくささを感じている人は「邪推」に走ってしまって(私のことです。反省。。。)、議論が不毛になりがちなのでは? しかも「こじつけ擁護」の人は自分で頑張って推理しただけに、反論されても「浅田氏に騙されました!」とも言いにくくて引っ込みつかないですし。
山形さんがそうだと言っているわけではありません。山形さんの推理は妥当だと思います。実のところ浅田氏は(正しい)クラインの壺の説明をしてなかったというよりは、間違って理解したクラインの壺に対するほぼ十分な(決死の跳躍云々は抜けてるけど)説明をしていただけかもしれません。それは大間違いではあるけど「知の欺瞞」としては軽傷なのかもしれません。(それでもまだ私は色々邪推したくなるのですが、やめておきます。)
しかし、山形さんの文章は推理のお手本みたいにも読めてしまうので、推理合戦を誘発してしまうなぁ、と思ったのです。別に山形さんのせいではありませんが。
そういうことは直接浅田氏か版元の勁草書房にでも言ってさしあげるのが、それこそ「スジ」かと思いますが。
なにやら話がずれていますけど、ひょっとしてこの書き込みを誤解されたのでしょうか。あれは山形さんに責任があると思っているわけではなくて、人が悪い云々は冗談なんですが。。。これは見知らぬ人相手にいきなりひねくれた冗談を言った私が悪いのであやまります。ごめんなさい。
元寇について書かれた一般書。当時の中国と日本の政治状況、九州における地理風土、戦闘の内容、事件後のそれぞれの国のその後などが、正確に、抑制された筆致ですっきりとまとめてある好著。
……ただし、この本のタイトルと本文の「元寇」とあるべきところはすべて「倭寇」と書かれてある。もちろん著者は、日本と中国をとりちがえているわけではなく「元のフビライ」という記述からもそのことが伺われる。
さて、この本(まず存在がありえない本ではある)は知の欺瞞でしょうか。
あと、浅田クラインを知の欺瞞と呼ぶのをおかしいとぼくが思う理由。知の欺瞞というのは、(科学的な)知識の正しい理解を必須とする文脈で、それを正しく理解していなかったり、あまつさえ巧妙な欺瞞を弄して言い逃れることを指すはずです。けれども、ここでは浅田彰は数学的に正しい知識を駆使する必要のある文脈に立っていない。もともと浅田の提示したがっていた図形は(正確な)クラインの壺ではないのだから。もっとも、浅田クラインの使用前に正式なクラインの壺に対する知識を正確に述べて、その後に浅田クラインを提示して読者をミスリードしたのならば、完全に「知の欺瞞」ですが、モダン図形の提示前に浅田はそんなことをしていない。
「構造と力」において発生したのは、わざわざトポロジーの知識をもちだすまでもない場面で、ある程度トポロジーの知識を必要とされる図の名称を持ち出して、しかしその名称に適合しない図を持ち出して、そしてその「間違ったクラインの壺」が論旨には適合していた(最初からこの図を提出するつもりだったから)というややこしい事態です。かえって「クラインの壺」を名乗ったことで、浅田の論旨(貨幣や商品の循環)がぼやけてしまっていさえする。
場にそぐわない背伸びをしたこと(クラインの壺の名称使用)は批判されるべきだと思うけれど、はたしてそれが「知の欺瞞」とまで言い得るでしょうか。批判者の側の針小棒大な態度のほうが目に付きます。
もちろん双頭のフラスコが大事なのではなくて、それを見ながら、首1本のフラスコが同じ空間に存在しているのだと思え、というほうが大事なのですよ。浅田クラインは、浅田彰の都合によって、面が存在したり、しなかったりするいいかげんな図形なのです。それは、絶対にトーラスではないし、トーラスは浅田の論旨(プレモダンからモダンへの発展がプレモダン円錐からの相同のままの変形を必須とする)に反します。だからぼくはモダン模型はあのままでいいと思うのです。ただし、明確にクラインの壺ではないのだから、名称は変更しろ、と。
いえ、開発さま、僕のいうてる「アサダの壷」というのは、「浅田クライン」
ではなくて、山形さんがどっかのパンフレットで見つけてきたとかいう
ドーナツ型の「アサダの壷」でございます。
ふたくちのフラスコの二つの口をゴムチューブでつないだら、トーラス以外の何者
でもないわけで、僕は、ようやく皆と同じ結論に達したはずの彼が、
何を不満がっているのか理解できないのです。
っていうか、アサダ壷がトーラスだったら誰も苦労しないのでは?
>双頭のフラスコ(口(くち)どうしはゴムチューブでつながっている)
そういうのを、トーラス(ドーナツ型、アサダの壷)というのよ。
定食屋に客が2人、うそをつかず記憶も正常なコックが1人いる。客Aがカレーライスを注文した。コックは無言でハヤシライスを出した。客Aは注文どおりのものがきたので普通に食事をはじめた。客Aもコックもハヤシライスのことをカレーライスだと思っている。客Bは、実際にはなにがカレーライスなのかを知っている。
こういう状況のときに客Bがとるべきは、客Aが注文したのは、実際にはハヤシライスと呼ぶのだということを教えること(甲)であって、実際にカレーライスをつくってみせること(乙)ではない。また、客Aがカレー(じつはハヤシ)を注文したことを責めること(丙)でもない。
(甲)浅田クラインがクラインの壺ではないことを示すこと
(乙)クラインの壺が、ものを循環させないことを示すこと
(丙)トポロジー的にでたらめ(なのかどうかよく知らない)な図形をモデルに、物事を説明するのを責めること
浅田彰は、コックであり客Aでもある。客Bはわたしたち。
双頭のフラスコ(口(くち)どうしはゴムチューブでつながっている)を用意して、「このフラスコは1個に見えますが、じつは1本首のフラスコが2個、同じ空間に存在しているのだと思ってください」と言ってみる。
山形さんが仰ってるのは浅田さんの「クラインの壷」そのものへの理解が間違ってる、ってことと、
トーテミズムを転倒させたみたいな社会モデルとして変だってことと、どっちに重点が?
ここの流れは算数話になってるので…???なんですよ。
『マルコヴィッチ』は確かにあのシーンでちょっと「逃げ」なんですが、 浅田さんによるクラインの壷解説だと(何となーく)ああなる感じって気がします。 差異がどこで発生すんの?ってのってないですか。 ところで、どこかでちょっと触れられてるドーナツ型っていうのは何ですか? ニーチェ/キルケゴール/クロソウスキーラインで考えるとドーナツ型モデルになるはずだ、と、 学生の頃思ってた記憶があります。 つまり私は「これ違うよ」って思ってたけど言ったことのない卑怯者の一人だったのでした。
>この作業を指して「類推」と言っています
>こういう作業は本来読者が負担する必要のない作業
なんばさんの理解では、読者にとって「類推」は負担する必要のない作業なのですね。
そいつは初耳。驚きです。
>浅田氏が本文なりキャプションなりで(山形さんの文章と同じくらい)
>はっきりと書くのがスジ
そういうことは直接浅田氏か版元の勁草書房にでも言ってさしあげるのが、
それこそ「スジ」かと思いますが。
あとなんばりょうすけ氏は、「構造と力」のp.196を読むこと。ちゃんと浅田は、クラインの壺について (まちがった)説明をはっきりしている。
そこは読んでいます。そこには「正しい」クラインの壺の幾何学的な性質(壺の面に裏表がないとか)に関係あることは何も書かれていません。そういう意味で「対応関係がまともに説明されていない」と言いました。言い換えると、関係ないことしか書いてないという意味で既に「まちがった説明」なので図を解釈するまでもなくまちがっているのでは? という話なのですが。
あの文章を読んでも「アサダの壺」みたいな絵が真っ先に頭に浮ぶだけで、「え? どこがクラインの壺なの? なんの必然性があってわざわざクラインの壺で表すの?」と困惑してしまうのが普通だと思う(私はそうでした)のですが、いかがでしょう?
そこであらためて円錐(こちらは一応納得できる説明がある)とクラインの壺の図を見くらべて、はじめて山形さんのような解釈(浅田氏はクラインの壺を正しく理解していない)になると思うのですが。この作業を指して「類推」と言っています > こぞのさん。 (もちろん解釈自体は妥当だと思います)
でもこういう作業は本来読者が負担する必要のない作業で、浅田氏が本文なりキャプションなりで(山形さんの文章と同じくらい)はっきりと書くのがスジだと思います。クラインの壺を間違って理解しているのは大いに問題ですが、何よりも自分がクラインの壺をどう理解しているかを曖昧にしたままで引き合いに出しているところが浅田氏の知的詐欺ではないでしょうか。
浅田クラインって、膜(底)をとっぱらっても、クラインの壺にはならないんですよ。それはご理解いただけてますよね?
そりゃチューブで接続しない限り、2つの円錐があるだけなのだから、プレモダンの模型になるでしょうなあ。山形さんこそ、こっちの言ってることわかってる?
>私は山形さんの説明で、
>「プレモダン」「モダン」「ポストモダン」が「わかって」しまったのですが、
>それは使えないものなのでしょうか。
場面によっては使えるかもしれませんが、あまり人前では使わない方が賢明かと思います。翻訳の際の参考程度ならかまわないでしょう。アサダ式ポモ解釈の限界については山形さんも文中で言及されています。「初心者」にとってはあの程度の理解でいいという見解も確かに成り立つのですが、それなら端から「そんなもんわからない」でいたほうが人としてマトモです。
>専門家(って何)ではない私としては、文章中に「ポストモダン」とあったときに
>「ふんふん、これは規範がぐちゃっとなったやつね」
>と理解できればとりあえずうれしいのですが…。
お気持ちお察しします。さらに一歩踏み込むのであれば、「なんでポモな人たちは、わざわざ規範をぐちゃっとさせたりするのか?」考えてみられるといいと思います(理解能力がぐちゃっとしちゃっているのはただの間抜けですので要注意)。規範をわやにするなんて面倒なこと、やむにやまれぬ事情がある人以外はしない方がいいのでは? ほとんどの人にとって、機関車とファックする必要なんてこれっぽっちもないんですから。
>もしも東小園さんが「プレモダン」「モダン」「ポストモダン」について、
>もっと正しくわかりやすく(そして短い)解説をしていただけるなら、
>とてもうれしいのです。
残念ながら、このテーマについてすべての要求を充分にかつ同時に満たすことは(おそらく誰の手によっても)不可能です。「正しくわかりやすく短い、もひとつおまけに役に立つ」といったレベルでの「正しさ」をご所望なら、適当な入門書がたくさん出ています。「構造と力」に付け加えて、橋爪大三郎「はじめての構造主義」あたりを読むと効果的なのではないでしょうか。
># これは批判や皮肉ではありません。念のため。
わかっております。王子の足下に眠るつばめのように素直に聞いております。
># 専門用語を、大づかみでわかりやすく、
># それなりに正確に語ってくれる存在というのは貴重なのです。
「それなりに」というところをわかったうえで理解できる方にとってはそれでいいのでしょう。おそらく結城さんは懐の深い方なのですね。失礼しました。
>円錐の底辺を張り合わせた図形を浅田は「構造と力」の中で使っていて
ったって、
>それはてっぺんの頂点に王さま、底の頂点にスケープゴートを配置した
のだったら、こっちのいってるのと、底の方向がちがうんですけど。