2000/6/11-6/20の苦悩
疲れている。
疲れているんだが、いつのまにやら高木ウォッチャーになってしまってるかも(笑)。こういうことをしてるから疲れるのか?今回もコメントすることすらつらいような内容。トンデモ以下の駄文だな。あれ見てなんかしら肯定的な評価をしてる人ってどれくらいいるんだろう?不思議だなあ。編集してる人もなに考えてるんだろう?あんなうんこ以下の文章を垂れ流すことに精神的苦痛は感じないんだろうか?もうちっと勉強してから文章書いたほうがいいと思うんだけどなあ。このままいっちゃうと二度と立ち上がれなくなると思うんだが(いやもうすでに死に体かも)。
けなしてばかりいてもあれなので、ちょっと今回の彼の文章のロジックを追ってみて、いかにひどいものか検証しましょうか。
「中小企業のIT化を進めたいので、『IT化』とは何かを教えてくれ」というわけのわからん仕事を取ってきたあほがいる。こういう仕事を出すほうも出すほうだが、とってくるほうもやはりあほなのでやる前から暗礁に乗り上げること確実。だいたい両者で議論したというIT化の枠組みが一目見ただけで支離滅裂なのがわかる。下手の考え休むに似たり、って金の無駄だよ。おめーもうちょっと考えてから(自分の能力でできるかできないかの判断も含めて)仕事とってこいよなあ。おろかものめ。
これはまじかなあ?まじだとすればけっこうすごい。それはそうとこれもすごいよ、いやまじで(笑)。ついでにこれもすごいかも。
最近土日の分を月曜日に更新する癖がついてしまった。土日はねっとなんぞにつながってられっかよ!って、会社のメールチェックは頻繁にやってしまう小心者。
またも一週間が始まってしまいました。今日も晴れたねえ。暑いねえ。体力補充のため、近くの焼き鳥屋でうなぎ重を食べてから出社。関西風で千円也。炭火で焼くのみで、蒸さないから関西風なんだよな、多分。関西風、関東風の定義を忘れてしまった。
なぜか今日はものすごーく煮詰まってるんですけど。ううみゅ、仕事が手につかない。うーん、だめだなあ。なにせ腐ってますから。
この手のぬるい言及で何か世の中が動くのであれば、それはそれでいいのかもしれぬなどという後ろ向きの感想を持ちつつ、ついでに以下のような対話を思い起こして腹の底から嘆息。んはああぁ・・・。
楽観主義者:「この世はありうる世界の中で最高の世界だ!!」そりゃまあ確かに世界中に存在するデジタルコンテンツがすべて一つのネットワークにつながって、そしてそれにアクセスすることが原理的に可能になれば、そりゃ所有の概念は意味を成さなくなりますわね(ここも参照。藤元さん、げんきー?)。「所有」という概念は、すべて「アクセスする権利」の概念に移し替えられることになるんだろー。でもそうなると「所有」という概念よりもよっぽど曖昧な「権利」という概念をどのように正当化するかという新たな(そして複雑で解決不能と思える)問題が生まれるだけではないの?そして、この平等という前提をいくらでもコントロールできる「アクセスする権利」という概念こそ、ほんとのデジタル・デバイドを引き起こすのではなかろうか。またも問題を抱えたまま人類は走っていくのね。って悲観的すぎる?
悲観主義者:「(ため息をつきつつ)・・・そうなんだよねえ・・・」
関下稔・坂井昭夫編著「アメリカ経済の変貌−ニューエコノミー論を検証する−」読了。はい、そこそこいい本です。とりあえずニューエコノミー論を論破したい人は9章のみを読めばおっけー。「ニューエコノミー論の90年代のアメリカ経済の主要な変化にいち早く光を当てたという功績は認めるべきである」という指摘は確かにそのとおりかも。ただし、その変化を理論的な裏付けもなく恒久的なものと断じた点が問題なのだという指摘もそのとおり。でもこういう総括の仕方ってちょっと腰がひけてるかな?という印象があるな。でもそれはないものねだりってやつか。9章以外はまあ気の向いた時にでも読めば事足りるでしょー。
ついでに中村二朗・中村恵「日本経済の構造調整と労働市場」読了。これもそこそこいい本です。特に仕事本としては最大限の賛辞をおくろー。僕にとってはありがたいことです。この本は序章と1章を読めば事足りる。それ以外は上と同じく必要に応じて適宜読んでくりゃれ。ついでに吉川洋「転換期の日本経済」もあわせて読むとなお吉。
山形せんせーよりなぜか(ま、席の場所が遠くなったってのが直接の原因なんだろうけど)社内便(笑)で、J. Bradford DeLong,A. Michael Froomkin "Speculative Microeconomics for Tomorrow's Economy" のハードコピーをいただく。読んどけってことですな。・・・ん?まさか訳せとはいってないですよね。このJ.Bradford DeLongせんせーは、直近の文書で
情報革命が進めば、在庫とか失業とかが減って経済構造はがらりと変わると思うぜ。そうなると、近い将来失業率とインフレのトレードオフとかほざいている、単なる経験則に頼ったマクロ経済政策(特に金融政策)は意味がなくなるであろーという予言をなさっておいでで、大蔵省や日銀の方々(+マクロ嫌いの高橋悟さん(6/12)も逆の意味でついでにいれとく)に、このページのURLのみを書いたspamを送り付けたくなる衝動にかられる。うずうず。
でもこの人ってニューエコノミーの人だったような記憶が・・・勘違いかな?「測定できない経済成長への寄与」ってあたりを見ると、どうも「にゅうえこえこあざらく」の臭いがするような。って、ちゃんといろんな文章を読んでから判断しましょうね。というわけで判断は保留。でも、この曖昧な僕の偏見は残す。うっせーや、個人の日記にけちをつけるもんじゃあねーぜ(んじゃ公開すんなよ)。あ、でも間違ってたら突っ込みよろしく。
ちとリンクやページのタイトルなどを微修正。いや、たいした意味はないです。意味なしということでこのへんも。ちなみにあたくし見たことのある問題だらけだったので満点で「149」でござんした。
今日は晴れたねえ。
ちと次なる仕事の関係で打ち合わせ。その後、ちょいと不思議なメンバーで渋谷の韓国居酒屋に。居酒屋退出後、Mark Cityでお茶を飲んで解散。今後ともどうぞよろしく。
渋谷から帰ってきた後は電波少年などを見て素直に寝る。
雨が降って面倒だな。
お買い物(スーツなど)をした後、粋なお店でおいしく飲む。
今日も晴れたなうれしいな。しかし暑い。さらに朝っぱらから今日は打合せがあったのに寝坊をして大騒ぎ。しかも電車は乗り過ごすし。今日は朝っぱらから汗だくになってしまった。
で、遅れていった打合せだが、なんだー、別にでなくても良かったなあ。参加者全員が漂ってて一種ほんわかした雰囲気のまま打合せ終了。で、結局今日は何が決まったんでしたっけ?しかし、みんな「e」ビジネスが好きなんだなあ。僕なんかはやりゃあいいじゃん、とついつい思ってしまう質なので、あんまりきりきりと「コンセプト」だの、「ビジネスモデル」だのを議論するのは性に合わない。そういうのは最初に決めてから、IT事業をやるかやらないかを考えてくれ。スタート地点が明らかに間違ってるぞ。
近いうちに引っ越すことになるやもしれぬ。何がって?そりゃあーた、○○に決まっているではないですか。CGIのソースを見るのなんて久々です。あらかた忘れてしまっている自分に対して憎しみを通り越して愛しさすら感じました。
兄貴の子供の誕生日プレゼントはドメイン名に決定。いずれレンタルサーバを借りてなんかしようかな。
やっと晴れたあああああああ!洗濯しなきゃ。今週末あたりは網代を出そうかな。まだホットカーペットを敷いているのは暑苦しくてたまらん。
今日は「e-business」をやりたい会社のお手伝いプロジェクトに関して社内でのアイデア出し。一つおもしろいことを考え付いたので、強力にプッシュ。絶対うまくいくと思うけどなあ。ベンチャーでやるにはあまりにどろどろしてるだろうからやりたくないし、やれないだろうけど、あそこのブランド力をもってすればかなりのところまでいけると思うけどな。しかもこのアイデアはページビューを稼ぐことを前提としないので、ポータルと競争しなくてもOKなんだよな。うまくいけばまったく新しいビジネスモデルとしてかなりでかいインパクトを与えると思うのだ。どうすかね?ねえねえ?でじたる・でばいどなんて無視無視。いまどき、PCもi-modeもかえねーようなやつらを相手に商売なんて考えてもしょーがあるめえ。いやしかし、商売の基本は「短く持って、こつこつ当てる」(教訓リストNo.15)。こいつを忘れちゃーいけねえ。
それみたことか!(うちの母親の口癖)。おまえはやっぱりだめなやつだなあ・・・(うちの親父の口癖)。親の口癖とはまったく関係ないが、さかな占い。と、その結果。「内面は臆病で、ちょっとの衝撃でもほろほろとくずれます。腐ってますから」。これはなんといっても梅雨が悪い(昨日の記述参照のこと)。
第58期名人戦、佐藤康光名人第6戦を落として3勝3敗のタイに。むうう。丸山強いなあ。ていうか、佐藤やすは攻め急ぎすぎ。
昨日やはり僕は腐っていたらしく、ゲイリー・ベッカー「経済学者はこう考える」は「ベッカー教授の経済学ではこう考える」の間違いでした。ご指摘ありがとうございます。って、1/30には正確に引用してんじゃねーか>自分。「時と場合によっては過去を振り返ろう」教訓リストに記入。
体が腐るぅぅ。カビが生えるぅぅ。
さて、今日は雨の中、ちと年寄りベンチャーの相談にのってきた。結論:「あれでは早晩失敗するよーん」。猛省を促しておいた。
話を聞いてみて、システムとかビジネスモデルの目新しさとかでは勝負になんないだろうという感触を持ったので、もうちっと人脈とかを活かす方向で考えたほうがいいんじゃないかと示唆。リアルでアナログでウエットな部分を活かすことを勧めておいた。だいたいこっちの提案に、「そういうことをするとシステムが複雑になって・・・」なんつー理由でひくでない!それを泣きながら作り上げてこそのベンチャーだろう。そういう「泣きのシステム(笑)」が作れないのであれば、もうちょっと今まで自分たちが築き上げてきた基盤を活用することを考えればいいのだ。それもできねーようじゃあ、渋い谷の若人たちとなんら変わるところがないぞ(オフィスの場所が神保町ってところが差別化要因なだけだ)。別にベンチャーに「腹芸」は不要だと誰がいったわけでもない。逆にそっちがあればこそのビジネスかもしれないんだから。で、話が続かないので、ついでに今僕が考えているビジネスモデルのコンセプトも披露してあげた。本来昼飯おごった程度で教える話じゃねーぞ(ウン千万円クラスのコンセプトであるぞ)。ありがたく思うように。
さて、こういう話が増えてきているので、付け焼き刃(でもないんだが)として、レイモンド・フロスト、ジュディ・シュトラス「インターネット・マーケティング概論」なんつー本を買ってきて読んでいる最中。特に目新しいことがあるかというと別になかったりするんだけど、これくらい整理された形で頭の中身も再整理しといたほうがいいかなと思って。大企業の「e」な方々とお話する時は、このレベルの話から始めることになるんだろうし。とはいえこの本は、これはこれで結構落ち着いた筆致でいいかもしれない。って最近仕事よりの評価が多いな。もうちっとプライベートのほうを充実させねばならぬなあ。
ついでに夕方は近親ベンチャー(こっちは若いぞ)の相談にのる。「定量性なんてぶっとばせ!そんなこたあ、あとでなんとでもなるさ!」と無責任なことを主張。だってそうでもしないと差が出ないんだもん。って何の話かわからないでしょー。だってわからなく書いてるんだもーん。秘密秘密。
ちょっと気になったので本屋で竹中平蔵・佐藤雅彦「経済ってそういうことだったのか会議」を立ち読み。評価を上方修正。ゲイリー・ベッカー「経済学者はこう考える」の日本語版として位置づけてもいいかもしれない(誉め過ぎか?)。まず最初に信用貨幣の成り立ちあたりの説明から入っていくという構成はなかなか筋がいいのでは?竹中へーぞーさんは議論を簡単にしすぎると批判していたんだが、初心者向けにはああいった語り口のほうがいいのかもしれない。この本では(立ち読みレベルなので細かいところは知らないという制約がある点を割り引いてね)、議論を簡単にする姿勢ではなく、理解を促す書きっぷりになっていて善哉。とりあえずあの程度のアナロジーなら許せる。さて、この本の\1,500を高いと見るか、安いと見るか。ただし、この本の評価とは別に、へーぞーせんせの手による「読んではいけない」系の本も(そこそこ)あるので、気をつけるように。
あと、この本読んで「エウレカ!」と叫ばれるのはちょっと困るのだ。この本はあくまでとっかかりとしての位置づけ以上のものではないので、引き続き「クルーグマン教授の経済入門」あたりになだれ込んでいただけると幸甚。さらにいえば「ミクロ経済学−戦略的アプローチ」まで一気に突進するとなお吉やもしれぬ。この3冊を押さえていれば日経新聞の読み方も変わるであろー。
「政治のエンターテイメント化は、現代民主主義の行き詰まりを表す指標ではないか」という指摘が「レオニーの選択」にあったのだが、日本はどうだろう?
雨だああああ。やる気しねー。というわけで夕方早々に会社から帰ってくる。晩御飯はパスタ。
「『知』の欺瞞」読了。感想は変わらず。
なぜか寝呆ける。起きたら11時でした。
ひさびさにセルダニスト掲示板に投稿。「レオニーの選択」はいい議論のたたき台になると思うのだ。でも投稿するのであれば、「レオニーの選択」を読んでからのほうがありがたいぞ。ついでにジェイン・ジェイコブス「市場の倫理 統治の倫理」なんかも読んでからのほうが、僕としてはありがたい。いや別に言論封殺をやろうなんて思ってないです。それ以上に、ああいうことを考えるにはどういった本を読んでおくべきかを知りたいだけですんで、情報求む。
今日は本が大量に届いた日でもあり、また懲りずに本を買ってきた日でもある。というわけで積読リスト(6/12)。
とりあえずこの本はソーカルとブリクモンの部分を読むだけでも十分意味が分かるので、引用の部分はまじめに読む気がしないのだ。その意味で、付録Aもまじめに読む気にはならないな。だから、訳者の意見通り、「付録Aは既に歴史的意義しかない」という意見も当り前すぎて納得できる。
ただし、ちょっと気になることも一つある。確かに「ぽすともだーん的言説」では、不必要に難解な概念をてきとーに(ハクをつけるためだけの目的で)つなぎあわせることがあって、あれは問題なんだけど、数学の発展によって得た知見を別のなにかに応用したいという欲求が厳然と存在するのは事実で、特に経済学をかじったことのある経験からしても、数学の美しさを現実世界に応用したいという欲求はある程度理解できるのだ。ただし、本来の概念を理解せずに、かっこつけで利用するのはあほ以外の何者でもないが、挑戦的に応用するという試みを保持するようなスタンスを見極めるにはどうしたらいいのかが気になるところではある。数学的概念を新たな分野に応用するにあたっては、数学者や理論物理学者のレビューを受ければそれで済むという類の問題でもなさそうだし。いや、そりゃとーぜん、そういった理論を使いたいならちゃんとその概念を理解してからにしろ、という意見はもっともすぎるくらいもっともなので、これは(数学の苦手な)僕の甘えなのかもしれない。何にせよ、「『知』の欺瞞」はあまり議論に向く本ではないと思うなあ。
これとの絡みで、「『知』の欺瞞 −経済編−」をまとめるとおもしろかろう、という話をしていたが、経済分野ではあんまり難しい話をする必要もなくて、三流トンデモ本を弁別するだけでいいのではないかとの結論に落ち着く。ま、これはこれで十分役に立つと思うので、中期的課題として鋭意検討。この日記のコンテンツでどれくらいカバーできるかな?あ、でも読み返すとまともな本しか取り上げてないなあ。唯一ちょっと怪しいと思えるのがエマニュエル・トッド「経済幻想」くらいか。しかし、これも途中で読むのやめてるしな。やはり、まともな本をきちんと紹介するほうが前向きかな。小林秀雄にならうか。
8,000ヒット。・・・の割にはたいした反響もないので、みんな僕みたいなことを思ってるのであろうという仮説を立てる。そうすると、世の中はもうちっと僕の思った方向に進むはずであるが、そういうふうには動いていない。したがって、この仮説は棄却される。ふむ。
雨が降ると何もする気が起きないなあ。
靴を磨いて一日が終わる。