2000年のBest of 苦悩 上
日用品の買い物をする。いいしょうゆといい卵といい味噌を買って帰る。食料品にいいものを買うのはいいことであろう、と勝手に思いこんでいる。デパートって結構便利だなと改めて実感する。でもこれって25ansのり?(って今日買ったんだけど)いや、相変わらず25ansっていいよなあ、あのノリ。お受験なんてあたりまえなんだろうなあ。あそんでるようにしか見えないんだけど、あの雑誌に出てる全ての人々は。あんな生活を送れる身分になってみたいものである(やだけど)。
高校サッカー、東福岡負ける。3対0はないだろう、まったく。
なぜか深夜に「ドラキュラ」をだらだらみる。前半はおねーちゃんのおっぱいがいっぱいで楽しかったのだが、その後、彼女とともに鑑賞する羽目になって野放図な喜び方が不能になり、とたんにつまらなくなる。ストーリー・映像・演技、どれをとっても三流以下なので露出のみを楽しみに見ているおいらにとって、彼女とともに後半を見ているのは苦痛以外のナニモノでもない。あー、無駄な時間を過ごした。
彼女と花札をして大勝する。しかし通算成績ファイルにつけていなかったので勝ったこと自体は無駄に。
なかなか寝付けずいろいろなことを考える。そうそう、その際にこないだうちの会社にきた恩師 片平秀貴 御大についての考察を深める。「パワーブランドの本質」を書いたことであの先生はとうとう別の世界の住人になってしまったのであるなあ、という結論に達する。別の世界とは「努力」、「根性」、「勤勉」という価値観が崩れ去った世界である。具体的には超優良企業の超優秀な経営者のクラブ入りを片平御大は果たしたということなんだけど。
ああなると一般人との会話がまったくかみ合わなくなるんだよねえ。それ自体は別に悪いことではないが、片平御大も一応大学の教員であり、研究以外に教育という役割を背負わされている立場の人なので、あまりに現実から遊離することは避けなければいけないのではないかという危惧を抱く。現実はもっともっと泥臭いものなんだよ、という点を片平御大のもとでは理解できないのがその理由。後輩のゼミ生たちが変にあこがれ・反発を抱かないようにすくすくと伸びてくれることを祈ってやまない。
そもそも夢を語るのは若者の特権ではなかったか。その特権をキャリアの裏付けを持った年寄りに奪われると若者の精神は閉塞するだけであろう。閉塞でなければ盲信が関の山。あの片平御大の著書に正面から反論することができる若手はいないし、それを寄せ付けないだけの凄みを「パワーブランドの本質」は持っているんだけど、あれは年寄りのための本であって、若者に対して聞かせるべき説教ではない。
ゆえにあの著書にも若手・中堅社員に対する配慮は付け足し程度でしかない。当初、僕は若手軽視のこのスタンスに反発していたのだが、最近になってこの反論は取り下げるべきであろうという結論に達しつつある。その理由は、あの本のスタンスは「年をとってもまだまだ若々しく夢を語れる<希有な資質>を持った経営者」に対しての応援というものであって、あれを読んだからといって共感しかできない人間には毒にはなっても、薬にはならない。余計な幻想を抱かせるのは、ある意味残酷であり(どんなにあがいても到達できない境地を、詳細に見せ付けられるというのは苦痛にすぎない)、そこに希望を見出すのは愚かな所作と言われてもしょうがないであろう。
片平御大の最近の哲学を一言で表せば、
「非凡は常に非凡であり、凡人は凡人のままである」とでもなるだろう(いや、御大は一言もこのようなことを言ってはいないが)。
「パワーブランドの本質」という本の中で語られる「本質」とは、凡々とした組織・経営陣の中ではパワーブランドというものは決して育たないということであり、この命題が様々な事例をもとに、繰り返し、精緻に、そして反論の余地なく語られる。気の滅入る本だ。あの本を手放しで喜んでいるぎょーかいの方々もいるが、彼らはこの本の「本質」を、思いっきり読み違えているに過ぎない。あの本ほど経営者個人の能力の重要さを証明した本はないし、また、その能力とは「努力」、「根性」、「勤勉」などとは別次元にあるのだという点を明確に伝えているという恐るべき本なのだ。
我々凡人は、非凡な人々の集うクラブをただ眺めることしかできないのだ。気の滅入る本である。
というわけで「パワーブランドの本質」は、僕の中では「有害図書」でR指定。あまり他人に勧めてはいけない。特に未成年者は保護者の監督下で読むこと。
最近週末になると煮詰まる。経済学を本気で普及させるためには何が必要なんだろうか?そして、経済学を学ぶことがどんな意味を持つのかを正確に理解させるにはどういった仕掛けが必要なんだろうか?こんな疑問を持って週末を過ごすのはいかがなものか・・・
「ゴミ投資家のための人生設計入門」は、全日本人にとって必読の書だと思う。高校生全員に配って読ませれば、日本は必ず良くなると(本気で)思う。それ以外にも絶対に読ませるべき本はあるなあ。そういうわけで、うちの会社の新人研修プログラムは決まったな。以下にその研修プログラムを例示しておくので、新人コンサルタント育成に関心のある方は連絡ください(笑)。
研修期間:6週間(月〜金、午前9:00〜午後5:00、ただし必要に応じて時間延長有り)
必要なもの:無垢な心
講師:僕とその他数名
効果:配属後いきなり先輩およびクライアントに向かって生意気な口がきける新人コンサルタントが育成できます
(ついでにMBA取得者とも議論を可能にします。ただし、ビジネス向きでありません。飲み屋での議論でのみ有効です)
| 内容 | 期間 | テキスト | 内容 |
| 1.コンサルタント心得 | 1 week | G・M・ワインバーグ「コンサルタントの秘密」 | まず入社直後の週の午前中に行う。それぞれのトピックごとにうちの会社での実例とケースを紹介する。テキスト自体は入社前に3度は読みこんでいることが必須。 |
| 2.初級ミクロ経済学 | 1 week | G・S・ベッカー他「経済学ではこう考える」 | 午後に行う。経済学の根本思想をたたき込む。主要なパラグラフは暗唱させることが望ましい。全員暗唱できるまで時間無制限。 |
| 3.マクロ経済学概論 | 2 weeks | P・クルーグマン「クルーグマン教授の経済入門」
<副読本> P・クルーグマン「経済政策を売り歩く人々」 |
午前中に実施。マクロ経済学の主要トピックをたたき込む。だいたい2章ずつくらいを毎日読んでくることが宿題。 |
| 4.初級ファイナンス | 2 weeks | 「ゴミ投資家のための金融ビッグバン入門」
「ゴミ投資家のための人生設計入門」 |
3のカリキュラムの午後はこちらにあてる。これもだいたいまとまったトピックごとに宿題が出る。最終的に自分の詳細なライフプランを提出することをもって課程修了。できるまで時間無制限。 |
| 5.初級ゲーム理論
&中級ミクロ経済学 |
1 week | 松井彰彦、梶井厚志「ミクロ経済学:戦略的アプローチ」
(2000.2.18以降) |
午前中に実施。簡単にゲーム理論を教える。囚人のジレンマや繰り返しゲームなんかの基礎をたたき込めばOK。 |
| 6.初級統計学 | 1 week | 「SASによる統計解析」
or「SPSSによる経済統計分析」 |
午後に実施。実際に手足を動かせえ!ということでSAS。SPSSでも代替可能。課題が終わるまで時間無制限。 |
| 7.上級ミクロ経済学 | 2 weeks | P・ミルグロム、J・ロバーツ「組織の経済学」 | 午前中に実施。毎日1章を章末の練習問題をもとにディスカッション。とーぜん、当日までに練習問題を解いておくことが必須。 |
| 8.ケーススタディ | 2 weeks | 弊社ご自慢の腐れプロジェクト報告書(適宜) | 午後に実施。弊社内で過去に失敗したプロジェクトの報告書をテキストとし、実際のプロジェクト担当者を講師(というか生け贄)にして、何でこのプロジェクトがへこったかを詳細に検討。講師に「本当にすいませんでした。これからはちゃんとやります」といわせるまで時間無制限。 |
| <その他の課題> | 全期間を通じて | なんかLinux本(インストーラーでもいいかな)
R・L・シュワルツ他「初めてのPerl」 |
とりあえずPCにLinuxをインストールして、perlを用いて簡単なCGIを作成。時間を見つけていじることが必要。 |
| その他読んでおくべき本 | 全期間を通じて | C・シャピロ、H・ヴァリアン「Information Rules」 | 必須。たまに講師がこの本のネタを振ってみる。答えられないヤツは即刻死刑。教えるって感じの本じゃないと思うんだが、Turnbull先生は去年使っていたような・・・ |
こんなもんでいかがでしょ?この辺の知識を一通り身につければなんとかなるでしょ。Power Pointなんてあとから覚えればいいのだ。ただし、Excelは必須だな。特にファイナンスのPVとかIRRの計算は目をつぶってもやれるくらいにたたきこむ。えぐるように打つべし!なのだ。
架空の課題のケーススタディも不要。あんな中途半端なことをさせたところで何も覚えん。実際に仕事を始めればケーススタディなんていくらでもできる。それよりも、いろんな結論の形を見せておくことのほうが重要。
なぜか昨日「G.I,ジェーン」をだらだらと見てしまう。別に男女同権がどうだとか、デミ・ムーアがどうだとかいった感想はまったくないのだが、アメリカの研修というか訓練プログラムというものに多少の感銘を受ける。ま、軍隊ってのはどこの国でも大なり小なりああいった感じなんだろうけど。いや、別にこのプログラムはこれをみて作ったわけではないんだけど。って、思いっきり影響受けてるな。
結局、金子勝「反経済学」、ジェイン・ジェイコブズ「市場の倫理 統治の倫理」の両方とも読めず。なんでかというと、仕事をしなきゃいけなかったことと、「ゴミ投資家のための人生設計入門」を読み返していたため。あと、このカリキュラムを考えていたのも理由の一つ。むう・・・
今日は三重県へ。昨日は大阪にいたのでどこか近くに泊まったかというと、そんなことはない。しっかり東京に帰りました。新幹線の中で宴会をやった勢いのまま、夜11時過ぎに会社によってちょっと仕事をしてからうちに帰ったら何と財布を会社に忘れてきた。というわけで定期も現金もなにもなし。しょうがないので今日は会社まで徒歩。とほほなんつーしゃれはいいとして、近いからできるわざっすね。
さて、三重県で何をしたかというと、行政改革のお話を伺ってきましたって、いや、ほんとはもっと裏があるんだけどそれはここではちょっと。ま、なんにせよリーダーシップって大事ですね。ついでに情報公開も。でも昨日からジェイン・ジェイコブス「市場の倫理 統治の倫理」を読んでいるので、あまりに市場主義的に行政が動くのもいかがなものか(いや、もともと公共財でないのなら政府が面倒見る必要はないからいいんだけど)と思ってしまう。これでNGOとかNPOとか出てきたらやだなあ。最近僕はこいつらを目の敵にしているのだ。
そりゃそうと、ジェイン・ジェイコブス「市場の倫理 統治の倫理」はすごい本だ。僕がいままでずっと考えてきたことを体系的にまとめた初めての本ではないだろうか。なーんていうと僕がすごいみたいに見えるけど、それはまあいい。僕が今まで考えてきたことのキーワードを挙げると以下のようになる。
さあ、Ithaca HourとPacman Defenceの共通点を説明してみせよう。Linuxの興隆とPFIの枠組みを一つのたとえ話で説明してみせよう。なぜ、通産省のプロジェクトがうまくいかずに、エコマネーが地域経済を発展させるかをPowerPointにまとめあげてみせよう。いままでつながりそうでつながらなかったいろいろなことがこの本でつながった。山形さん、ぼくはやりました、やっちゃいましたよ!
エコマネーがなぜ地域を限定した形に設定されているのか、モラル・ハザードが制度(法律など)の枠組みの中で不可避的に起こるのはなぜか、情報開示がこれらの不正・腐敗を防止するのになぜ役に立つのか、民間に任せることが常にうまくいくとは限らないのはなぜか、といった種々雑多な疑問が氷解した。すごい本だ。
それと同時に、僕は自分の学んできたことのスコープの狭さを反省している。なぜ、経済学が小人の学問と成り下がったのかがわかった気がする。また、生態系や法律への関心もさらに強くなった。人はこうやって学んできたんだろうし、これを乗り越えた時の新しい風景はすばらしいものに違いない。虚業への転職はやめよう。僕は僕が信じる道で職業を選ぼう。そして、そこにあるものは明確な「倫理体系」だ。僕が統治と市場のどっちの倫理体系に近いかは今の段階ではなんともいえない(「統治型」に近いのではないかと思う節もあるけど、これは今の仕事の短期的な影響かもしれない)。
でもどんな職業についたとしても、そこで自分を律する道を僕は発見した。そして、この発見はだれでも到達可能なものであることもわかった。この本を読んで理解すればいい。この理解に到達するには、僕が上に上げたようなトピックの知識があるほうが簡単だろう。でも、そんなものはなくてもなんとかなる。ようは、今自分がどっちの倫理体系で動いているかを考えればいい。そして、その倫理体系にもう一方の倫理を混同させないことだ。何と簡単なプロトコルだ!しかし、そのプロトコルを実現するのは難しいだろう。理解してもらうのも難しいかもしれない。でもいいんだ。僕は理解した。
しかし、僕の目標はもう一歩遠いところにある。僕はこの倫理体系を科学的にモデル化してみたい。それができれば世の中は変わる。そしてこれは誰かがやらなきゃいけないことだ。仲間を集めよう。知識を広めよう。
今年だけじゃない、もっと長い目標が見つかった。・・・これだから読書はやめられない。
さて明日から三日間ほど実家へ。 棟上げに出てくるんだけど、久々の帰省なのでちょっと楽しみではある。しかし、飛行機代はもうちっと安くならんもんかねえ。
そうそう、僕は今度異動になって4月からはどうやら情報とか通信とかの仕事をするようになるらしいのだが、はっきり言って興味ないっす。「Information Rules」もまともに読んだことのない(とーぜん理解してるやつなんて皆無)ような人々と僕はまともに仕事できるなんて考えられない。外部性とかの概念すら怪しいし、体力勝負の部署だって聞くし(僕は体が弱いのだ)。ぼちぼち会社辞めなきゃな。
だいたいからして、経済学部卒で会社に入ってからも情報通信の仕事なんてほとんどやったことがないような人間を、「人手が足りないから」なんつー理由で情報通信の部署に出さなければいけないような人材不足の会社にいてもなーんも得るものはない。はっきり言って僕のIT系や経済系の知識は独学で身につけたものだ。OJTで学んだことははるかに限定されてる。個人に頼るのはもう無理だと思う。おままごとやってるんじゃないんだから、もうちょっとまともな人材育成を考えるべきだ。って、もう手後れだと思うけど(だっていまさら情報通信分野が人手不足なんていってるようじゃあ見込みなんてないよ)。
そりゃそうとイマニュエル・ウォーラーステイン「ユートピスティクス」読了。リベラリズムによる権力・非権力間の調整(ここには旧差別を撤廃するかわりに新差別を導入するシステムが含まれる)と、その調整過程による両極の包摂によって、実質的にリベラルが(1968年までは)資本主義社会を統治していたという枠組みを見出したのは目ウロコもの。おお、そうかあ。結局は両極の信頼を集めた利害調整のキャスティングボードとして、リベラリズムは存続していたのであるな。ところが1968年以来、この信頼が崩れてきているらしい。その辺の理由はまあいろいろあるんだけど、ちょっと一言いっておくがコンドラチェフ周期を持ち出して説明するのはまったくのトンデモだと僕は思う。だって、その後では「カオス」を持ち出して「システムの予測は不可能」なんて言い出すんだから、コンドラチェフ周期ももうちょっと慎重に扱わないと矛盾だと思う。
まあそれは置いといて、この500年くらいは「資本の無限蓄積による資本主義社会」で、それを支えていたのは利己主義と、権力層と非権力者層間の利害調整/差別保持機能としての(リベラルが支配する)政府、もう一つは第三世界の安価な労働力だったという。ところが現在は、利己主義は深刻な批判にさらされており、効率性重視という立場を公然と唱えることは不可能に近い。政府は権力者と非権力者の本質的なジレンマ(税金下げろ、サービスはもっとやれ)が調整不可能なレベルにまで拡大しており、本来の機能を喪失しつつ/させられつつある。最後に、第三世界はすでに安価な労働力を使い尽くしている。だから「次のシステムへ転換する時期」にきたというんだな。で、この次のシステムが落ち着くまではあと25−50年くらいかかって、その後はまた500年くらい安定するんだと(コンドラチェフだからさ、なにせ(笑))。
まあ、この立場をどう見るかは勝手だけど、僕はこの本を読んでいて不安になる。この著者の言っていることは突き詰めて言えば「今はシステムの転換期だ。過去にもシステムの転換期はあったけど、結局必然的な転換なんてなくて、いろんなことが複雑に絡み合って、50年くらいの時間をかけて今のシステムに落ち着いたんだ。だから、今のシステムが将来的にどのようなシステムに落ち着くかは現段階ではなんとも言えない」ってことになる。
ところがそれにしちゃあ結構いろんなことを断定的に言ってるんだ、この人は。それもたいした検討もせずに。まずは差別がなくなる社会になるだろうという。しかし、差別を無くすには個人の意識改革以外にも、社会的な仕組みとして差別をなくすものが必要だともいう。ほほう、ではそれはなに?・・・「くじ引き」だって(涙)。ようは、能力主義は正確な評価を下せないかららしいんだけど。つまりこういうことだ。100人いたら、上から10人と、下から10人は能力的に顕著な差があるからはじいてもいいけど、それ以外の80人に本当に差はあるのかなんてことを言い出すんだ。「38番目と39番目の能力差はあるのか?」とね。だからくじ引きなんだってー、差別をなくすにはさー。でもそれって単なる逆差別じゃん(悪平等ともいうな)。学級会じゃないんだしさー、もうちょっとましなことを考えてよ。ついでにいっておくと、その選択過程をコントロールする人って誰なの?上位10人の人?だとするとそれって今のリベラルによる支配構造と何か差はあるの?ないよねー。というように、このおっさんはシステム分析はある程度得意みたいだが、将来のシステムに関してはたいした検討をやっていない。なのに、思い付きでいろいろと書いちゃってる。
僕が恐れているのはこの点だ。この本は将来的に(いやもう既に?)NGO/NPOの思想的根拠になるだろう。確かに前半のシステム分析の部分はかなりの説得力をもってるし、これはこれで傾聴に値する。でも、そこまでだ。そこで終わっといてくれればよかったんだ。ところが、このおっさんはさらに(やめときゃいいのに)よけーなことをたいして考えずに書いちゃってる。これってそうとういろんな解釈が可能なんだ。これでは反政府主義も許されるだろうし、効率性を度外視した極端な平等主義的社会がくるかもしれない。そしてそれは今の社会よりもはるかに貧しいものになる可能性が高い。しかもご丁寧に「システムは予測不可能」なんて逃げ道まで残してるし。NGO/NPOが無茶をやったときに、この本の後半部分の提言が無制限に引合に出される可能性がある。これは非常にやばいことだと思う。むむ、不吉な予感。
関係ないけど(いや実はちょっとあるけど(笑))、好きな言葉を一つ。
「歴史が生物科学の一分野である以上、歴史の究極的な表現形態もまた数学でなければならない」(コリン・マッキデヴィ「古代史年表」序文)うう、いつ見ても泣ける。名文句よのぅ。
おすぎの日。最近みてないな。相変わらずなんだろうか。
リンクは時と場合によっちゃあ犯罪幇助だと。こういうのって難しいと思うんだけどなあ。例えば僕は「サイゾー」のサイトにリンクをしてるんだけど、あれが「風説の流布」にあたると判断された場合は、僕のも犯罪幇助になっちゃうわけ?それは報道のサイトだからいいのか?ヒット数が少なければとかって問題でもなさそうだし。あとこの日経BizIT記事の結論である「安易なリンクは慎むべき」ってのもどうかと思う。あと朝日新聞の著作権の設定は糞だとおもう(めんどくさそうなのでリンクせず)。
通産省の方へ。FORTUNEの記事くらい自分で検索したほうがいいと思うぞ。その方が早いのでは?
はーい、バカがいました。ニューエコノミー論自体がトンデモなのに、さらに輪をかけてトンデモでーす。いちいち突っ込むのも面倒なので3つだけにしときますが、細かい突っ込みどころ満載ですので、あとは皆さんよろしく。
通常、戦争が終わった後は、インフレになる。なぜなら、戦争で生産設備が破壊されて、供給能力が激減しているのに、戦争状態から通常の生活に戻って、生活必需品に対する需要が爆発的に増えるからだ。モノがないのに、需要が増えると、インフレになる。事実、第二次大戦後のドイツでも、日本でも、大変なインフレになった。(強調かしわぎ)いいですかー、インフレになるのは実需だけが原因じゃないんですよー。マネーサプライが増えることもインフレの原因なんですよー。あと第二次大戦後のドイツ、日本でインフレが起きたのは、物不足ではなく戦時国債の償却をやるために大量に通貨を発行したから。だいたい「戦争が終わったらインフレになる」っていうのが正しいのなら、なんで敗戦国だけがインフレになるんだい。戦勝国だってインフレになって当り前じゃん。特に生産設備が徹底的に破壊されたフランスなんてハイパーインフレになるのではないの?ついでにいっとくと、この人はマクロとミクロの区別がまったくついてない。マクロの「IS-LM分析」の枠組みをちょっとでも知ってればこんな間違いはしないはず。
冷戦時代、世界は東側陣営(統制経済)と西側陣営(市場経済)に分かれていた。10年前、東西冷戦の末期で、市場経済(マーケット・エコノミー)の人口は合計で約27億人だった。しかし、冷戦が終わって、旧ソ連、東欧、ついで中国・ベトナムといったアジアの社会主義国まで、市場経済の仲間入りをした結果、いまや、市場経済の人口は55億人を超えている。いいですかー、この理屈だと旧社会主義諸国は冷戦中はまったく自国内で生産設備を持たず、まったく何の需要も生み出さなかったってことになりまーす(「需要が2倍」ってことは、今までの西側諸国の需要以外は需要が存在しなかったってことをいってるから)。つまり、28億人が何も食べず、何も作らず生きていたということになりまーす。ありえますかー?ありえませんねー。ここでいっている「市場規模が2倍になった」っていうのを好意的に解釈すると、旧西側経済がモノを売ることができる市場が2倍になったというだけ。実際、世界全体の需要自体はほとんど変わっていない(というか発展途上国の総生産は伸びてるから全体では成長してたはず)。ただ、旧社会主義諸国は金融・財政政策のまずさや、生産効率の悪さがあったため、不況になっちゃったので、冷戦後は確かに旧社会主義諸国の需要自体は落ち込んでますがね。つまり、10年で市場規模が2倍になったのである。では、需要が2倍になったかというと、旧東側陣営の人たちの所得は、まだまだ低いから、購買力を伴った需要(実需)はそれほど伸びていない。(強調かしわぎ)
加えて、「購買力を伴った需要(実需)」ってのも意味不明。「購買力を伴わない需要」ってのが存在するとでも思ってるのかね、この人は。それって単なる「願望」なのでは?「ああ、俺ももっといいもの食って、きれいな家にすみてえなあ」ってのがこの人のいう「購買力を伴わない需要」ってやつなのかな。そりゃたしかにこの需要を完全に満たすことは無理だわ(笑)。
言い換えると、ニューエコノミーで生き残るには、「モノ不足時代の常識」から「モノ余り時代の常識」に頭を切り替える必要がある。これを、パラダイム・シフトと呼ぶ。(強調かしわぎ)いいですかー、一般的にいって「ぱらだいむ・しふと」といっている人にまともな人はいませーん。だいたい「モノ余りの時代」って何を指してるのかぜんぜんわからん。有効需要不足と何が違うんだろうか?
ついでに言っておくと、もともと「ニュー・エコノミー論」ってのは、同じくトンデモの「サプライサイド経済学」から出てきたといってもいいんだけど、この人はサプライサイドの話も多分理解してない。消費財と中間財の区別もついてない感じだし。「付加価値」っていってもわかんねーだろうなあ。これは新手の「ニュー・ニュー・エコノミー論」かも。
同期が「くも膜下出血」で入院。どうもかなりやばい状況らしい。まだ若いのに。僕も気を付けたほうがいいのかなあ。
昨晩、NHKスペシャル「村上龍 失われた10年」を見る。うーん、当り前なんじゃないの?あの程度の内容は。特に目新しい内容はなかったなあ。吉川洋は本を読んだほうがいいし、金融政策なんかもその手の本を(例えば軽いところでは「経済失政」とか)読んだほうがいいと思う。「そんな時間はない!」ってな人は・・・うーむ、やっぱりこれを見るしかないのか。
それにしてもJMMの読者からのコメントというのが相変わらずの無責任民主主義の最たるもの。バブルの犯人探しってやっぱりやってみたくなるものなのかな。あと、村上龍は嫌いじゃないけど、でも彼が思ってるほど「作家」というのは偉いものではないと思うんだが(笑)。どういうことかというと、村上龍はこの番組内で「これからの生き方は各人が自分で考えていくしかなくて、それを作家に提示せよとは求めないでくれ」っていう主張をやってるんだけど、そんなの求めたか?って感じ。でも、「各人が決めろ」ってとこから導き出される結論は「無知は罪」ってところになってそうで、これはひとつ喜ぶべきことだろうなと思う。
21世紀の前半は「啓蒙主義」の時代になるんじゃないか。でも、そこで語られる言葉が20世紀の言葉だとまったく意味を成さないんだろうけど。おおざっぱに言っているので、ここを突っ込まれると弱いんだが、20世紀の言葉って「政治」に偏りすぎてたと思う。21世紀前半の言葉は「経済」が主流になる。これはどっちの重要性が増したかってな話ではなくて、物事を語る言葉がもう一種類増えたんだってことと理解したい。どっちにしたってそれで事象を完全に記述できることはないんだろうけど、いろんな側面から見たほうが対象への理解は深まる。その意味で20世紀は「政治」という側面(もっと言い切っちゃえば「民主主義」というスコープ)で、物事を見るとなんとなくわかったんだろう。でも、これからは「経済」(というか「制度設計」とか、「インセンティブ」とかってスコープ)で、社会を見るというスタンスが強くなっていくと思う。あ、でも「経済」っていうとすぐに「銭勘定」とか「効率性」とかっていうネガティブなイメージで語られがちだけど、どっちかっていえばアマルティア・センとかのスタンスを想像していただければ幸甚。
で、これは学問の発達に関わるので明言は誰もできないと思うけど、21世紀の後半くらいには、「政治」と「経済」を統合した言葉が出てきてくれるようになるんじゃないかと思っている。で、その統合された概念ってのは、今の僕の感覚だけでいえば「倫理」とか「規範」とか「法律」とか「制度」とかっていうキーワードの上位概念になると思う。「数理倫理学」なんて分野ができるとおもしろいかもね。「数理歴史学」を確立したハリ・セルダンが生まれたのはいつだったっけな。こうやって考えるとSFは常に現実を追い越し導いているのだ。ガキのうちに読んどけってことだな。
ブルクハルト・ヴェーナー「レオニーの選択」を読み始めているんだが、これってジェイン・ジェイコブス「市場の倫理 統治の倫理」の民主主義版だろうなという感じ。4/24付では『「ゴミ投資家のための人生設計入門」の政治版』と書いているが、多分ちょっと性格は違うな。ストーリー仕立てってところも違うし、「市場の倫理 統治の倫理」と読んでて似た感じがするのだ。懐かしいところでいえば「ソフィーの世界」にも近い感じ。
そういや、「ソフィーの世界」を読んでた頃、友達の一人が「あれは『哲学ワナビー』が読む本だ!あんなのを読んで哲学をわかった気になるのはいかん!」ってな調子で散々にけなしてたんだけど、僕はもうちょっと評価したいんだよなあ。それはやっぱり「啓蒙主義」に関わってくるスタンスだからだろうけど。教科書というか、ガイドってのはやっぱりとっかかりでは必要だと思う。ただそれは「痛快経済学」みたいなぬるい本ではだめで、きちんと重要なところを押さえてくれる本でなきゃいかんのだ。例えばっていうのは僕の積読リストを見れば大体わかるとは思うけど(経済分野以外の本ね)。やっぱり取っ掛かりというか、ジャンピングボードというか、そういう役割をする本って必要だよな。数学にそういう本があればなあ(いや、多分あるんだろうけど。岩波の現代数学入門シリーズとか)、そして中学、高校とかでそういった本にであってたらなあ・・・って死んだ子の年を数えちまった。
アメリカの労働統計長期時系列は手に入ったのだが、1900-1970年くらいまでしかないなあ。あとはwebから手に入れるか。でもマージがちょいとめんどくさそうでやだなあ。
今日は久々にチャリ通勤。いい季節だねえ。そりゃそうとこの日記は難しすぎますかね?でも数式は出てこないぞよ(笑)。
なんかだるい一日だ。
相当久々の更新ではなかろうか?更新が遅れた理由は、実はこないだ山形さんのところに紹介されたせいで、このサイトの存在が上司の知るところになり、業務上問題がないかどうか検閲が入っていたからなのだ!!・・・っていうのはまったくの嘘で、ただ単にさぼってただけです。物憂い季節だし。
そういえば以前「床屋物理学や呑屋数学は聞いたことがないのに、なぜ床屋経済学や呑屋経済学はあるのか」というご質問をいただきました。端的に言ってしまえば以下の2点くらいになるんでしょうかね。この辺のお話はG.M.ワインバーグ「コンサルタントの秘密」p.12も参照のこと。
二つ目はどうなんだろう?これは「経済学」の相対的な地位の上昇として喜んでもいい傾向なのかもしれないけど、「『知』の欺瞞」を読んでいる今のタイミングだと否定的にしか考えられんなあ。あ、文脈とは関係ないけど「『知』の欺瞞」は「文系(という区切りはあまり好きではないし、意味もないと思うんだが)」にとって必読の書だと思うぞ。これも一言で言っちゃえば「ワナビー」なんだろうけど、なんか憧れがあるんでしょうね、エコノミストとかの横書き職種に。
「インターネットバブル」読了。非常にいい本だと思うんだが。筆致も冷静だし。でも、もうちょっと何かが足りないような気がするのはなんだろう?僕が他人に勧めるとしたら、多分こういう感じになると思う。「こことここは読んだほうがいい。でも、この章とこの章は読み飛ばしたほうがいいかな。あ、あと最後の付録は必ず読んだほうがいいよ」ってな具合か。なんか、全体を通じた主張が二転くらいする感じなんだな。だから悪いかって話ではないんだけど、今のタイミングで読むのであれば、やはり「バブル」のメカニズムと危険性を強調する部分に重点を置いた読み方をするのがまっとうでしょ、やっぱ。
あと、ファンダメンタルズについてのもうちっと詳しい解説があるとうれしいかな。でもこれは、それすら知らないような人たちが株で大損こいたとしても別にしょうがないよねという思いもあるので、よしとするか。この本に書いてある内容を「当り前じゃん」と思えないような人は、「情報通信関連株」とか「バイオ関連株」なんかに手を出さないほうがいいと思うぞ。個人の投資資格の試金石にしましょうね。
そうだ、ひさびさに積読リストも更新しとこ。というわけで積読リスト(6/5)。