ああ、俺だってつらいんだ
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先程紹介した論文よりももっと経済学者に絞った分析をやったやつが、
FSF(!)にありやした。これをどう見るかはお任せします。
たかたさんの思考の補助になるかどうかという点と、さとるさんの苦悩に
対するなんらかの示唆になるかどうかという点が興味ありです(笑)。
たかたさんのおっしゃることは面白いし、よくわかるのだけれど、「わざとらしくて
気持ちの悪いネカマ」((c)やまがた)のお嬢としては、どう返していいのかわからな
くって・・・。ちょっと考えるから待っててちょーだいな。
だから、そういうことは分類1の裏SIGHTに書いてね(笑)。
# お盆モードでぜんぜん仕事してないなあ。ネット猿症候群。
とはいっても実はみやのさんもその口だろうて。
考えてみたのですが、現在の多くの問題は対立する二つの党派、それを生業にする少数派とそれ以外の多数派の対立という構造を持っているケースが多いような気がします。で、普通選挙というのは、その問題を生業にする人々に、多数派市民への奉仕を要求するシステムであると。それに対して、市場方式は当該問題により強くコミットしている人に、より大きな発言権を与える結果になりそうですよね。
こういうのは、どちらが正しいとは言えないし、それが、能力と権利のトレードだという
風に正当化できるかというと微妙でしょう。
能力と権利のトレードオフであるということが明瞭であるためには、そのコミュニティに
奉仕するために必要な能力がなんであるかということが、明瞭でなくてはならないでしょ
う。「日本国民に奉仕する(あるいは現に奉仕している)能力とは何か」というのは、ほ
とんど結論のでない問題でしょう。こういうことを議論するには、国家というのは大きす
ぎるし多様すぎるコミュニティだと思います。
もっと小さくて、奉仕するために必要な能力の定義が明瞭なコミュニティならば、正当化
できるでしょうが。たとえば、金融関連の業界でLinuxを使おうと思っている人のコミュ
ニティというのが存在し、そのメンバーたちが、自分たちの仕事のために、ある特殊なデ
バイスを必要としたとしましょう。で、そのデバイスを作る企業を共同で設立し、自分た
ちのコミュニティをNPOとして法人化して、その企業を所有する形を採ったとしましょう。
で、そのNPO所有の企業のガバナンスは自分たちの仕事に役に立つ仕事をできるハッカーに
任せたいとそう思ったとしましょう。そういう時なら、選挙通貨をLETSのようにコミュニ
ティ内部でのみ流通させてそれによる選挙を採用するのは明らかに正当でしょう。
つまり、設立メンバー各自は選挙通貨を受け取り、ネットから必要なパッチやソフトウェ
アを受け取った時に、そのパッチを使ってみて、自分が仕事に役に立ったと思った度合い
に応じて選挙通貨を感謝を込めてパッチ作者に送るのです。で、ボードの選挙の際には、
選挙通貨をユーザーから受け取った人はその額の一部を選挙で使うことができると(選挙
通貨を持たない外部の人間がソフトウェアを利用することを妨げるものではないけど、彼
らは、ボードの選挙に対して影響を与えることはできないわけです)。
こういうシステムはどうでしょう?
物語は、最近脳みそにウジムシがわいてきたワタクシでもおもしろがって読めました。いろんなヴァリエーションが考えられそうで楽しみです(期待)。
>だから幸せになれないのね。
まあ、さとるさんったら。どんなイヤな目にあったのかしら・・・?
でも、そういう一徹なところに惚れてしまう女もいてよ。
幸せになりたかったら・・・あたしの家に来る? なんてね。うっふん(笑)。
>だから幸せになれないのね。
その理由はこの論文に答えが。
Maxwell G. and R. Ames, "Economisits Free Ride, Does Anyone Else?:
Experiments on the Provision of Public Goods, IV, "
Journal of Public Exonomics, 15(3), June 1981.
周りの環境が悪いのだ!わはははは!
僕は「最適な行動」というのをマジで個人レベルで信じてます。
だから幸せになれないのね。
おまけ:僕はミドルマンをミルトン・フリードマン
(お嬢さんの主張をずっと過激にして,
「仮定はその予測する内容からのみ正当化される」と主張した人)と誤読しました。
経済理論のパースペクティブと、個人の行為レベルでのパースペクティブはぜんぜん違
う、しかも、それはわれわれが思っている以上に違うのではないか? ということです。
もちろん、だからといってそれが経済理論を貶めるわけではありませんのであしからず。
個人の行為レベルでのパースというのは「社会で行為する自己に対して抱くイメージ」に
強く依存している、というのが宮台真司『行為理論の再構成』(<彼の修論。出版はされて
いないと思う)の肝だったように記憶しております。って、これもけざわのネタだな。うすす。
苦悩するかしわぎさまと共感するたかたさまへ。
要するに、経済学が想定する「最適な行動」をとれるやつなんて実際の世界にはどこにもいな
くて(ま、それは当たり前のこと)、それぞれの行為の結果を集計してならしてみたら、ほほ
う、まあまあ当たってるみたいじゃな〜いといえるようなデータが出てきて、そこではじめて
経済理論の妥当性は担保されると。ふ〜、長くなりましたがどうも「最適な行動」ってやつは、
その程度のものなのではないかと思う今日このごろ。理論に殉じることと、個人としての幸福
追求は相反することがほとんどですからね〜。うすす(と笑いながら遠い目をする)。
「能力」と「権利」のトレードオフ/交換制度、どなたかたたいてくださらない? できれば
抽象化して裏、印象論なら新苦悩板あたりで、ね(管理人のダーリン、それでいい?)。
・・・あ、アレってけざわくんの提案だったっけか。でも、彼、死んじゃったからなあ(笑)。

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